【バンカラ気質が薄れたと言われる早稲田。早稲田らしさって何なのか?】『大学図鑑!2019』は、シリーズ第一作発売から20年目を迎えました。最新刊の発売を記念して、実際に大学を取材しているスタッフライターのみなさんにこぼれ話を聞いていきます。今回は、専売特許だったバンカラ気質が鳴りを潜めて久しいといわれる早稲田大学の実態に迫っていきます。
「早稲田らしさとは、変なやつであること」
早稲田大学への取材において、「早稲田らしさって、何だと思う?」という質問に対し、一番多く返ってきたのが上記の答えである。
現在の早稲田は、30年ほど前に見られた「バンカラ」気質は薄れていると感じる。しかし、それでも、昔と変わらないのが「変人(変人気取り)」が多い点だ。ここで、早稲田の「奇人・変人エピソード」をいくつか紹介しよう。
「友達が中国で、『Ⅳ』というタトゥーを入れてました。『4番目に旅した海外の国』という意味合いを込めたらしいんですが、数え直したら実は5番目だったらしい……。そいつは、よくメルカリで落札した『早稲田ハンドボール部』のTシャツを着てます。軽音サークルに入ってて、ハンドボール部には何も関係がないのに(笑)」(商学部3年・男子)
「この間、ビーチサンダルで富士山に登頂しました!」(社会科学部1年・男子)
「成績が悪すぎて学校に行きたくなくなって、アメリカに逃げようと考えたんだけど、長期滞在にはビザが必要だと知って絶望した。今もあきらめてない。アメリカ大陸をヒッチハイクで円形にまわりたい」(教育学部1年・男子)
このように変わり者であらんとする早稲田生の自意識が爆発するのが、文化祭の「早稲田王決定戦」だ。「最も早稲田らしい男を決める」という名目の企画で、2017年は、タガメやスズムシといったゲテモノの早食い競争が行われた。学生たちは「ミスターコンテストなんかより、ノリで勝負を決めるほうが早稲田らしい」と話し、大盛り上がりであった。
さらに言うと、このような自意識が炸裂するどんちゃん騒ぎは、実は毎晩のように繰り広げられている。高田馬場での飲み会だ。駅前にある居酒屋の「だるま」「まんぷく亭」は大宴会場があり、早稲田生の主戦場となっている。学生は、基本的に、質より量を重視し、バカ騒ぎを楽しんでいる。合唱サークルといった、一見おとなしそうな文化系のサークルでも、イッキ飲みが基本となっていることも。
そして、夜23時頃になると、泥酔した早稲田生たちが駅前のロータリーにたむろし始める。そこら中で騒いだり、歌ったり、中には植え込みに顔を突っ込んだまま動かない者までいる。
読者が早稲田のOBであれば、「あ、なんか同じことしたことあるな」とお感じではないであろうか。そう、かつての早慶戦のときの歌舞伎町でのお祭り騒ぎは、規模は違えど、今の高田馬場駅前でのバカ騒ぎによく似ている。
普段の自分を破壊したい願望がある?
それにしても、なぜ、今も昔も早稲田生は街で騒ぎたがるのだろうか? この疑問に対するひとつの推測が、ある書籍に書いてあった。
2018年現在も存在する、早稲田のミニコミ誌サークル『早稲田乞食』。このサークルは、1981年、『早稲田微に入る本』という書籍を出版した。そこでは、早慶戦の騒ぎをこう自己分析している。
〈早慶戦で皆が一丸となって応援していると、アア、自分も早大生なんだなって感じるじゃない。1年生なんかは特にね……。その高揚があのドンチャン騒ぎになって表出するんだと思う〉
〈早慶戦にかこつけて自分が早大生であるということを誇示したいという人間もいるんじゃないか?〉
〈俺たちってゆーのは、皆同じレールの上に乗っかって生きてきたって意識もってるよね。大学入試の勉強にしたって主体的にやったとは言い難い。(中略)で、はやくそのレールの上から脱線して主体的にいきたいのだけれど、大学生になって今だにその方法を見出せなくてあせってる。それで、早慶戦のバカ騒ぎで発散させてみたりする。普段の自分を破壊させて自分も脱線できる人間なんだって安心感を得ようとしているんじゃないかなー。無意識のうちに……〉
別の大学に取材に行った際、高田馬場で一人暮らしをしているという若者と出会った。彼の通う大学は、早稲田より偏差値の低い大学なのだが、
「早稲田の人たちのようなバカな遊び方は、偏差値が高い人がするからサマになるだけ。自分がやるのは違うと思ってる」
と語っていた。
早稲田生が街で騒ぐのは、エリートがバカぶることによって、高い自意識を誇示したり、焦りを解消したりしているとも考えられる。そのことに、約35年前の早稲田生や、他大生は気づいていて、筆者も同意見であるが、現役の早稲田生はどこまで認識できているのだろうか。
早稲田の愛校心は「ツンデレ」
早稲田生は、「自分の大学をどう思う」と聞かれた際も、他大生と一味違う反応を見せる。筆者はさまざまな大学に取材に行っているが、前述の質問をすると、大抵は「好き」とか「あまり満足していない」というように、はっきりした答えが返ってくる。
しかし、早稲田の場合はまったく話が別である。学生たちは、往々にして、大学や他の学生に対する文句や批判を次々と述べた後で「でも、好き」と結論づけるのである。
たとえば、ある文化構想学部1年の女子に取材したときのことだ。
「早稲田生に、いいイメージはない。イキってる(調子に乗って、大きな態度をとること)やつばかりですから。毎晩、飲んで騒いで、『馬場でもんじゃ(吐しゃ物)作る、俺かっこいい』って思ってる。テレビ番組で、『早稲田は、東大、慶應より下の自覚があるから、目立ちたがる』って言われてましたけど、その通りだと思う」
ボロクソに言うので、「じゃあ、早稲田が嫌いなの?」と聞いてみると、
「でも、やっぱり早稲田は面白いし、留年しても笑って許されるような雰囲気は大好きです」
と笑顔で述べていた。自分の大学のことは好き。しかし、その気持ちを素直に表に出すのではなく、まず、一度けなしてみる。こういう「ツンデレ」な愛校心の見せ方は、親世代から変わらずに今も脈々と受け継がれている。
早稲田生は、自虐ネタが大好き
大学だけではなく、自分自身の自虐ネタで、笑いをとるのも早稲田生の特徴である。取材でよく聞かれたのは、次のような「成績悪い自慢」である。
「僕は早稲高出身なんですけど、高校の成績はドベで、スポ科と教育しか選択肢がなくて、所沢はイヤだったので、教育に入りました。大学のGPAは0.83です(笑)」(教育学部1年・男子)
GPAとは「Grade Point Average」のことで、特定の方式によって算出された成績評価値のことである。早稲田の場合、「A+」は4点、「A」は3点、「B」は2点、「C」は1点、「F」「G」「H」は0点となり、成績毎の数値をすべて足し、総登録単位数で割るという評価方式となっている。それを考えると、確かに彼の成績の悪さが伺える。
また、国際教養学部3年の女子からは、こんな話も聞かれた。
「私がマネージャーをやってる部活では、『俺、ブスだから』『ブス、今からシュート打ちます』というように、イケメンの人たちでも自分のことをブスと言ってる。お互いにけなしあうこともあるけど、誰も怒らない」
自虐ネタは成績だけでなく、自身の容姿にまで及ぶのだ。さらに、同じ女子は「ワセジョ(早稲田の女子)」の自虐についても語ってくれた。
「『ワセジョ』って、単に早稲田の女子という意味だけじゃなく、『女子力がない』みたいな、ちょっと悪いニュアンスがある言葉なんですよね。でも、私も周囲の友だちも『私、ワセジョだから~』ってよく自虐しますね。早稲田の女子の中にはモテる子もいるし、見た目がオシャレな子も多くて、本当に女らしさがないわけじゃないんですよ。けれど、『ワセジョだから~』と自己発信することで、男子の目を無闇に気にしなくてもよくなって、異性と対等に話せるのはラクです」
自虐ネタは、周りの人間が寛容でなければ成立しない。時と場所を間違えると、ネタとしてのキャラクターが定着してしまい、周囲から格下に扱われるようになることだってある。早稲田で自虐の文化が成り立つのは、大学全体に多様性をよしとする雰囲気があることの証左であろう。