『大学図鑑!2019』はシリーズ第一作発売から20年目を迎えました。これを記念し、監修のオバタカズユキさんに、掲載大学の変遷や選び方、取材方法といった制作の裏側、20年間で変貌を遂げた大学などについて聞いていきます。

――『大学図鑑!』シリーズは、今春に発売されたばかりの『大学図鑑!2019』で20年目に突入しました。おめでとうございます!

 少子化で18歳人口が減り続ける中、20年も続いたというのは嬉しいですね。2019版は前年度版より刷部数もちょこっとだけ増やしてもらえましたし。それも歴代スタッフのみなさんの地道な仕事と、取材を受けてくれる学生さんやOB/OGの方々のおかげです。

祝20周年!『大学図鑑!』シリーズの歴史で一番大きくイメージが変わったのはあの大学!?【監修オバタカズユキさんインタビュー前編】20年間で大学のイメージも学生も大きく変わってきた…!(写真はイメージです)

――1冊目の2000年版から、一時2000年代後半にはページ数が今より100p近く多く、掲載校も30校ぐらい多い時代もありました。近年は81校で落ち着いています。

 1冊目の2000年版は420ページ・60校でスタートしました。石原壮一郎さんとの共著でゼロから作った本でしたので、取材から脱稿まで2年ぐらいはかかったんですよね。取材は、1997年に始めていたと思います。
 年度を重ねるごとに、もっとこんなこともできるよね、と、どんどん厚くなっていって、掲載校も増えていきました。1ページのみで紹介する大学もけっこうあったんです。数が増えればより幅広い受験生や保護者の層のニーズに応えられだろう、と思って。
 ただ、そうするとマンパワーがついていけなくなって、どうしても1校あたりの取材にかけるパワーが減ってしまう。『大学図鑑!』はそのキャンパスに漂う空気など、数値化できないものや公式に出されない情報をまとめるというのがウリだったのに、再取材が行き届かずクオリティ面で薄まってきたのではないか、という思いがありました。そこで、2009年版のときに思い切って1ページや2ページで紹介する掲載校は削ったり減らしたりして、全体を見直しました。今の81校で落ち着いているのは、やはり試行錯誤の末にいろいろなバランスを加味したうえでかなり完成形に近いんでしょう。
 もちろん、できればもっと取り上げたい大学は今でもあるんですよ。北から、小樽商科大、東北学院大、信州大、金沢大、南山大、中京大関西の主要な女子大、広島大、西南学院大などなど。個人的には琉球大沖縄大学をウチナータイムでゆっくり取材してみたい。

――『大学図鑑!』では現在、掲載校を「関東私大A~Eグループ」「関東女子大グループ」「関西私大グループ」「国公立大学グループ(東日本編)」「国公立大学グループ(西日本編)」とグループ分けしていますが、2009年のリニューアルで「理系グループ」がなくなりました。

 ひとつには、1ページだけの掲載校が多かったので、それらを削った影響がありました。あとは各大学のページ中で理系学部についてもう少し意識的に触れればいいのでは、という方針に変えたんです。
 それと、2000年代から、特に『大学図鑑!』では「関東私大Bグループ」に当たるMARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)の人気がよりいっそう高まってきました。中堅の私立中高一貫校がMARCHの合格人数もウリにするようになりましたからね。
 そんなわけで、MARCHの内容を充実させていけば、これらの理系学部についても自然と詳しく書き込むことになりますから、あえて「理系」とくくってグループ化する意味がないんじゃないか、という話になったわけです。

バンカラ系がおしゃれ系に寄ってきた!

――この20年間で大きく変化したといえば、その関東私大Bグループでしょうか。

 そうですね。私大は関西も大きく変わりましたけど、関東私大上位層の変化は大学全体の移ろいが分りやすく見てとれると思います。
 Aグループの早稲田、Bグループの明治、法政といった、昔で言えば「バンカラ」系だった大学群と、Aグループの慶應、Bグループの立教、青山学院などに代表される「おしゃれ」系な大学群の差が相当小さくなってきました。バンカラ系がオシャレ系に近づいてきたんです。男臭い大学がほぼなくなって、どこでも元気はつらつな女子学生が目立っている。

――中でも、特に変わったなあと思われるのはどこの大学ですか。

  法政ですね。
 『大学図鑑!』1冊目のときは「♪ホーセー、ホーセー、ノーフューチャー」とシャウトするパンクバンドの絵を、しりあがり寿さんが描いてくれたんです。私だったか、スタッフの誰かだったかの創作なんですけど、これが当時の法政大生たちにもウケました。誇張だけど、リアルだって。
 あの大学の市ヶ谷キャンパスには、自治の精神が強く、男の汗臭く、アウトローな雰囲気があったんです。もっと昔の学生運動もかなり激しかったですしね。それを引きずっていて、「うちの大学は民間企業に好かれていない」と、最初から公務員試験を目指すというような学生も多かった。左翼学生なんか絶滅危惧種くらい少なくなっていても、イメージっていうのはなかなか払拭できないわけです。
 ところが、1990年代に入って大学改革が断行され、左翼が排除され、法政らしさの象徴みたいだった魔窟のような学生会館が潰される一方、ピカピカの超高層ビル、ボアソナード・タワーが建てられるなどしました。かなり大学の管理が強まって、清潔なイメージに変わったんです。

――清潔で、元気はつらつ……

 大学側の立場で考えれば、おそらく、立命館あたりがベンチマークだったのではないか、と私は勝手に予想しています。左翼が強くて学費も私立にしては安かった立命館が一足早くキャリアセンターを設置したり、「Rits(リッツ)」という古い人間からは何だそれと言いたくなるような愛称を自称したりして、イメージ刷新に成功していた。それに触発されたんじゃないでしょうか。
 今や、法政にはおしゃれな女子学生が多いし、明るく素直な学生が大半というイメージにガラッと変わりましたよね。この点は、明治にも言えることです。明大の女子学生の志望理由に「おしゃれだから」って声が混じってる今現在なんですよ。おそらく昔なら優秀な女子大を目指したのではないかと思うような女子学生が、このMARCHに相当流れているのではないでしょうか。
(MARCHでも気になる中央大学の評価や女子大学の変遷などについては、4/8公開の後編で!)