経済の「自由主義」と政治の「自由主義」は違う

 さて、日本は政治制度としては議会制民主主義を、経済制度としては自由主義を採用しています。この自由主義という言葉は、経済学の文脈なのか、政治哲学の文脈なのかで、ニュアンスが変わってくる。

 経済的自由主義ですと、国家が市場に対して過剰にコントロールすることのないことを意味します。要は「市場の国家からの自由」ですね。

 ただし誤解されがちなのは、自由主義を語る名だたる経済学者は、市場を放置せよ、何もするな、とは主張していません。たとえば自由な市場を維持するためには、労働者の人権を侵害するようなことがあってはならないし、独占や、あるいは著作権侵害などがあっては、適切な価格変動や、必要なイノベーションが阻害される。だから、健全な成長のために必要な自由市場を守る、そのためにはどの程度のルール作りが妥当かというのを議論します。

 対して政治的自由主義は、絶対王政や宗教国家ではない個人主義と、その個人が平等に自由を行使しつつ、他者からの不当な権利侵害を受けずに済むということを意味します。個人の国家からの自由、という具合でしょうか。

 政治的自由主義は、その実現のため、さまざまなバリエーションを持ちます。当初は、絶対権力からの自由という意味で、国家は社会に介入すべきではないという思想として育ちました。これを自由権といいます。

 しかしそれだけでは、貧困や格差の問題が改善されず、別の権力者=資本家が力を持つことになる。そこで、国家が適切に社会に介入することで、利害調整を行い、そのことで実質的な自由を確保することが重要だという考えが出てきます。これを社会権といいます。

経済-政治間の議論の往還を

 日本の場合、経済的自由主義と政治的自由主義が、あまりマッチしていないように思えます。論壇的な思想分野で、ポストマルクス主義の影響も大きかったためか、あたかも両者は対立関係にあるのだと理解されている節がある。

 しかし、金融政策による安定、財政政策によって景気刺激と適切な再分配を行うことは、経済的、政治的いずれの自由主義においても重要なアクションです。

 他方で、保守主義のスタンスにも、経済的保守と政治的保守とがあります。機会の不均衡を是認する経済的保守と、社会秩序の変革に消極的な政治的保守。両者は、エスタブリッシュメント内でも、あるいは自らがリベラルへのカウンターパートであると自認する者にとっても、ある程度の重なりが見られる。

 物事には、左右の対立だけでなく、上下の対立があるのですが、左右によって上下が覆い隠されることへの苛立ちが、トランプ現象という逆襲のアイデンティティポリティクスにもつながっていました。

 そんななか、どういう課題が現在はあるのか。まずは、経済的、政治的自由主義間の豊かな対話と、労働者や住人たちへの幅広い包摂です。