野村克也・元ヤクルト監督は、かつて、別の球団で戦力外だったり、活躍できなかったりしていた野球選手たちに、それまでと違った役割や練習方法を授け、かれらの潜在的な能力を引き出し、起用の仕方を変えて再起させた。「野村再生工場」と言われたものである。

 しかし、大企業では、分業化が進み、組織構造も固定化しがちで「野村再生工場」にはなりにくい。初級管理職くらいまでは能力開発のため定期的な異動が用意されているが、能力を示せなければだんだん塩漬けになってくる。ある部署で成果を出せなければ、その人が「潜在的に」優秀であっても、他にまわすということがしにくいし、そもそも別の能力があったとして、それを生かせそうな部署には、(大企業の場合)すでに別の優秀な人がいる。

 そこで図らずもその場に滞留してしまった無能な上司のもとで仕事をする部下にとっては、無能な上司に押さえられて、さらに上の人に対して影響力を持てないという意味で十分に悲劇であるし、もちろんその上司とて、別の部署でなら、「輝けていた」かもしれないという点で、部下と同じく悲劇的な会社員人生を送っているのである。

 この点、中小企業にいると、ひとつの業務に特化することは逆に許されず、ひとりで幅広くいろいろなことをせざるを得ない。その中で、自分の適性を発見することもあるし、適性があればそちらの方へシフトしていくことも可能だろう。

【問題点2】
大企業はその多くが「部分最適」のための不毛な仕事

 中堅中小企業は、オーナー社長である場合が多く、全ての部署が「直轄地」である。社員同士全員の顔も見えており、お互いに濃淡はあれども、何らかの人間関係があると思ってよい。

 これに対して、歴史のある大企業は事業部制や機能部制、カンパニー制であろうと、基本的には、独立した部門が連携をする「連邦制」であり、社員は社員である前にいずれかの部門に属し、その部門のために働いている。もちろん別の部門に異動する場合もあるが、同一部門内で一生を終える場合も珍しくない。

 例えば、商社で食品部門に配属されたら、ずっとその部門のエキスパートとしてキャリアを積み、ほかの部門とは売り上げを競う関係にあるとか、合併した大手銀行や大手メーカーなどで、合併前の会社ごとに侵してはならないテリトリーがあるなど、大きさはまちまちだが、部門同士で戦っているような側面がある。

 一般に、人間関係において、自然に一体感を持てる数は150と言われている。これを「ダンバー数」(*)という。この数を超えると人工的な利害関係に基づいた集団とならざるを得ない。

(*)『友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学』ロビン・ダンバー著、藤井留美翻訳(インターシフト社)より

 ダンバー数を超えた人員を抱える大企業は、連邦制ゆえに、部門を越える調整がきわめて厄介だ。