あ、いつも野球例えが多いと言われる僕もたとえ話は多い方だと思う。文章じゃなくてしゃべりの時は特に。決して上手いとは言えませんが、好きなんです。ダジャレ好き、見立て好きとしては当然と言えば当然なのでしょう。

 たとえ話がサクサクと思い浮かぶようになると、誰しもが「あの人の話はわかりやすい」「堅い話も面白く聞くことができた」となる。機械的に覚えてできるものではないだけに、それが仮に下卑たシモネタであろうと、地アタマがよい人ほどそこに置き換えの構造的な美しさを見出し、「知識」ではない「知性」を感じるもの。そんな人になりたいと目指しもする。

 ではどうして磨いていくのか。たとえ話が出やすくするスキルとして登場するのが「ダジャレ脳」です。

 たとえ話というものは、話題に上がっているゾーンを、別のゾーンに置き換えて、その人の脳みそに入り込みやすくする行為。シンプルに言えば、似ている事象等を見つけること。つまり、思考の構造は、ダジャレと全く同じ。違いと言えば、限りなく記号的な「言語」という単純なモノを結びつけるのか、ぐっと広く構えて、目の前に出てきた事象や行為やできごと、約束事、あるいはモノ、人で考えるのか、です。記号より長さがあるものを対象にしている。ダジャレが「点」であれば、たとえ話は「線」です。森羅万象における自分の知識にある線を見渡し、これとこれを結びつけて考えれば理解しやすい、面白い、とピックアップし差し出すのが、たとえ話。

見立て力が「面」に進化したモノマネは
芸の範疇を超えたハイレベルな知的作業

 どうですか。根本は全く同じであることがおわかりでしょう。寿司屋でコハダを食べながら「あら、この魚、ちょっと歳かも。コハダの曲がり角」とか言うのと、宇宙工学を曼荼羅の世界にたとえて話したりするのは同じ次元なのですよ。

 この見立て感覚がさらに広がっていくと、前回述べた芸術の分野に行き着きます。こうなると、話をたとえるという縦につながった状態ではなく、俯瞰して似ているものを提示するわけで、「線」から「面」に進化している様相です。

 芸術よりぐっと身近なところにも「面」的見立てがあります。モノマネ、形態模写、声真似、顔真似など、真似モノ。芸なんていわれて、いまひとつ知的な高評価を受けていない気がしますが、これのハイレベルなものはとんでもない知的作業。

 清水みちこさんの顔真似や、南伸坊さんの顔あそびは著書も多いわけですが、ある人の顔を分解し、特徴を分析し、再構築するにあたり、デフォルメして差し出すことにより浮かび上がる笑いを生みだしていく。アウトプットの才能もすごいが、まずは、その顔のパーツが人間全体の中でどういうポジションにあるのかを、マッピングせずに肌身感覚で掴んでいるところが秀逸だ。歌の真似も達人はとにかく「見立て力」が強いのだ。推論だが、真似芸に秀でた人はみんな、ダジャレの反応もかなりのハイレベルだと思う。

 

<参考サイト>

■イシブログケンゴ「ダジャレ商品開発」
http://www.blueorange.co.jp/blog/archives/category/product-joke

■イシブログケンゴ「ダジャレ部」
http://www.blueorange.co.jp/blog/archives/category/joke

■石黒謙吾さん「ダジャレのススメ」:鴻上尚史と岡本玲のサンデーオトナラボ
★声も聴けます。
http://www.1242.com/program/otona/2011/05/1853.html

■トレンドキャッチ! - 編集長インタビュー『ダジャレ ヌーヴォー』
http://homepage2.nifty.com/INandOUT/ishiguro-s/ishiguro-s.html