音楽と宗教の不可分な関係
アメリカのキリスト教プロテスタント系の黒人教会では、「福音」という意味を持つ宗教音楽ゴスペルにより、神の教えを歌いついできました。カトリックの讃美歌、日本でも天台声明(てんだいしょうみょう)や浄土宗や浄土真宗の和讃で伝えられる仏の教えなど、宗教と音楽は不可分の間柄にあります。お経もまた、木魚やお鈴(りん)の助けを借りて、テンポよく称(とな)えられるものです。
和歌や詩では韻を踏むことが行われてきましたが、ラップの曲のように、韻律がとても重要な要素となっている例もあります。
ということで、今回は韻を踏んだ標語を見てみましょう。「……さとりとは」という上の標語では、語尾が「加減」で終わることにより、リズムを刻んでいます。韻を踏んだリフレイン(繰り返し)は心地良く感じるものです。
「いい加減」「手加減」という感じで、テキトーのすすめのようにも読めてしまうのですが、この背景には仏教の中道の教えがうかがえます。いい加減とは「程良い」加減のことで、極端に振れないという意味を含んでいます。
仏典を物語りとして読む
「男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経」という標語が掲示されていました。
ジェンダーフリー的な観点からは、男女の性差をあまり強調すべきではないのでしょうが、「男は度胸、女は愛嬌」は誰もが耳にしたフレーズではあります。
こちらの標語は、「きょう」で韻を踏んでいます。3つ目に出てきた「坊主はお経」は僧侶にとっては毎日のお勤めです。みなさんはもっぱら音としてお経に接しているため、法事のときなど時折睡魔に襲われることもあるでしょう。
しかし、お経は物語であり、智慧でもあります。現代語訳されたお経を読むと、実はこういう意味だったのかと、目を見開かれる思いをすることがあります。
例えば、日本人に最もなじみのある『般若心経』の中では、「存在」とは何か、それは「空」であるという哲学的な問答が展開されています。また、『阿弥陀経』の中では浄土の世界が広がっています。
世界にはお釈迦さまが説いた無数のお経があります。お経の中身にも興味を持ってみてはいかがでしょうか。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)