それは積年の課題である、新たな稼ぎ頭の創造が実現できていないことを意味するからだ。

 NECはかつて、NTTの前身である日本電信電話公社を家長に頂いた「電電ファミリー」の長兄と呼ばれ、売上高の3分の2を電電公社に依存していた。

 国内市場が右肩上がりで成長し、電電公社の投資意欲が旺盛だったころには、電電公社の“官需”を弟分の富士通や日立製作所と分け合えば、それで十分だった。

 ところが、1985年に始まった通信自由化で、電電公社が民営化され、NTTになってから状況が変わる。NTTの投資は合理化され、電電ファミリー以外の企業が受注することが増えたのだ。

 当時から、通信事業とは別の収益源を育てられなければNECがじり貧になることは自明だった。

 それ故に、NECの経営陣は危機感をバネに多角化にまい進した。その結果、半導体は売上高で世界一を、携帯電話やパソコンでは国内シェアトップを取るなど、一時は栄華を極めた。