しかも6月9日、SBCとの合弁会社である長銀ウォーバーグ証券のロンドンオフィスは長銀株の大量の売り注文を受け、それをそのまま東京の証券取引所につなぎました。普通、日本の金融機関であれば親密な会社の信用を落とす行為なので、他の証券会社に持ち込むよう顧客を誘導します。しかし欧米のディーラーは自分の実績と報酬に直結しますから、そんなことはお構いなしに売るのです。このようなビジネス慣行の違いには思い至りませんでした。

 長銀ウォーバーグ証券による長銀株の大量の売りは、「SBCは長銀を見限った」と市場に受け取られました。海外も含めて相当な投資家が空売りのチャンスだと考えたのでしょう。そうでなければ説明のつかない株価の下落が起こり、6月22日には前営業日の112円から62円へ一挙に50円も急落し、その後、長銀の株価は二度と100円台を回復しませんでした。

 ちょうどこのときは、新たに設置される金融監督庁に、大蔵省から金融の企画機能を切り離して一緒にするかどうかで同省と政治家の間で綱引きが行われていた時期でした。監督機関が引き継ぎで空白の時を狙い、ヘッジファンド等が長銀を空売りのターゲットにしたのでしょう。

 マーケットの巨大な力は平時には見えませんが、こうしたときに大変な猛威を発揮する。それは非常に怖いもので、株主総会の最中に「長銀株が50円まで値下がりしている」とのメモが入ったときは衝撃的でした。我々はマーケットの底知れない力に対する思慮を欠いていたというか、まさかそこまでのものだとは思っていなかったのです。

あらかじめクビが決められた頭取就任
信用低下で資金繰り困難に

 根拠に乏しいメディアの報道やうわさ話が飛び交い、株式市場で長銀株がもみくちゃにされ窮地に追い込まれる中、長銀は他行との合併を模索し、住友信託銀行との合併に最後の望みを託すことになりました。

 合併するためには政府から公的資金を8000億円から9000億円注入してもらい、不良債権処理を行って身ぎれいにする必要がありました。大蔵省と相談しながら作成した公的資金を入れるための再建計画では、前提条件の1つに代表取締役の辞任がありました。経営責任の明確化のためです。

 一方、長銀は1998年4月に執行役員制を導入し、それまで28人いた取締役を6人に減らしていました。すると会長を除き代表権を持っていない取締役は末席にいる私を含めて2人だけ。もう1人は国際畑で役所との折衝経験があまりなく、消去法的に私が頭取に就任せざるを得なくなりました。