医者は死に関わることが多い職業です。しかし、それを受け止められるケースばかりではありません。京都大学医学部特定准教授で皮膚科医の大塚篤司医師が、同期の友人を突然失ったエピソードを語ります。

はおおつか・あつし/1976年生まれ。千葉県出身。医師・医学博士。2003年信州大学医学部卒業。

 先日、写真家の幡野広志さんと京都でお話しする機会がありました。幡野さんは1983年生まれ。2016年、お子さんの優くんが生まれた翌年、多発性骨髄腫というがんを発症し余命3年と宣告を受けたそうです。著書である『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』は、息子さんの優くんに伝えておきたい人生のヒントを書き残した、穏やかで優しい内容が盛り込まれたすてきな本。幡野さんご本人も、文章と同じように芯が強く優しい方でした。

 幡野さんとお会いしてから、死について考えることが多くなりました。それは、幡野さん自ら、死と向き合って世の中に発信している影響が大きいと思います。医者は死に関わることが多い職業です。死は誰にでも訪れるものだけれど、なかなか受け止められるものではありません。僕の中にも死にまつわる忘れられない経験や記憶がいくつかあります。別れは、ゆっくりきれいに進んでいくものばかりではなく、本当に突然、前触れもなくやってくるものもあります。

 僕が研修した病院には、毎年多くの医者が就職します。旧帝大医学部を卒業したエリートから、僕みたいな2浪してやっと医学部に入れたやつまで、雑多な新人が医者としてのスタートを切る病院。僕の同期は皮膚科だけで12人もいました。

 背が高くて好男子の平貴文(たいら・たかふみ)くんは、僕と同じ地方大学出身の熱血漢。医者になって最初の研修の休み時間、古びた講堂前の手すりに寄りかかりながら彼は僕に話しかけてきました。