聞けば、つい最近亡くなった患者さんについて、
「じつは自分が3ヵ月前に食事介助をしたときにむせてしまった。その翌日に熱が出て肺炎になり、治療をしたが、その後食事をとれなくなって亡くなった。自分のせいで誤嚥して肺炎になり、死期を早めたのではないか」
 ということをずっと引きずっているというのです。

 でも、その患者さんは体力がなくなっていたせいで肺炎を繰り返していたし、他の人が介助したときでもむせていたのはスタッフの誰もが知るところでした。
「他の人でもむせていたし、あなたのせいじゃないんじゃないの」
 そう私が言ったとたん、ぽろっと涙をこぼしたのです。
「そうですよね」

 きっと本人も、自分のせいではないことはわかっているのです。
 でも、誰かに言いきってほしかったのでしょう。

 また、介護職の若い男性は、ある患者さんを看取ったあと、
「僕には何もできませんでした」
 と目を潤ませてうなだれていました。

 しかし、私たち看護師がその患者さんに関わっている間、他の40人以上の患者さんを彼が一人で見ていてくれたのです。
 ですからその看取りに、彼は直接は関わっていませんでしたが、私はこう言いました。
「いや、あなたが他の患者さんを見ていてくれたおかげで、私たちはあの患者さんを穏やかに見送ることができたんだよ。
 君のおかげだよ、本当にありがとう」
 すると彼は、すごくほっとした表情を見せ、
「僕はお役に立てていたんですね」。

 看護師や介護職というのは、自分の感情をコントロールしなければいけない仕事です。
 ですから一見、死に接しても動じないように見えているかもしれませんが、じつはそうではないのです。

 人の死は、何度接しても、私にはとうてい慣れることはできません。
 見送るたびに悲しみを感じているのです。
 ときには、患者さんの最後の苦しい時間を共有していることもありますから、「ようやく苦しいことから解放されたね」と思うことさえあります。