西:いますね。
中山:そうすると本音が見えてこないということもありますよね。
西:本当は家に帰りたいと思っているけれど、家族に迷惑をかけたくないから帰らないという人もいます。そんな時は、迷惑をかけて生きるのが嫌なのか、家に帰りたいのか、どちらの思いのほうが強いのかを整理する必要があります。
それでも家に帰らないで、この病院の中で生きていくというほうを優先するのなら、それが本人が出した結論なら、それはそれも一つです。しかし、家族に迷惑はかけるけれど、それでも家に帰りたいとなったら、医療者が入って「こういうサポートを使えばご家族に迷惑をかけませんよ」と言うこともできます。
頭の中で思い込んでしまうのではなく、口に出して整理すると解決策が見出せると思うんです。口に出さないと、本当はこの人、どう生きたいと思っているのかが誰にもわからないままになってしまいます。
後閑:対話が足りないっていうのは本当にそうですね。寝たきりで、たくさんの管につながれて虚ろな目でぼーっと過ごしてる患者さんの家族が、「本人は延命治療はしないでくださいって言っていました。私たちも延命治療は望みません」と言います。けれど、「もう十分、延命治療をされていますけれど……」と私は思うこともあります。
延命治療の定義は、そもそも人それぞれで違います。人工呼吸器をつけて胸骨圧迫して蘇生させるのが延命だと思っている人もいれば、人工栄養・人工呼吸・人工透析、これが三大延命治療だという先生もいます。延命治療が悪いと言う気はまったくありません。
しかし、延命とは本来、患者さん本人がどうやって生きたいかを支える手段であったはずなのに、今は延命が目的となってしまっているから、おかしなことになっているように思えます。それを解消するために、対話は重要だと思います。
西:そうですよね。だから、ご家族も医療者、別に医者に限らず、というかむしろ医者でないほうがいいかもしれませんが、看護師さんなどを頼ってほしいと思います。
家族だから本人を支えるために頑張んならないといけないと思い込んで、家族のほうがつぶれてしまうことがありますし、逆に気負いすぎて「お父さんはこういう治療を望んでいるはずです!」と家族の思いが入り込んでしまっているパターンもあります。それで看取りが終わった後に燃え尽きてしまって、何だったんだろうと思ってしまうパターンもあり、そうすると孤独になっていってしまうことがあるのです。「いい悲しみ方」ができないまま、「あの時、お父さんにしてあげたことはあれでよかったんだろうか?」とうつになっていったりするパターンもあります。
「支える人にこそ支えが必要である」とは、めぐみ在宅クリニックの小澤竹俊先生がよく言う言葉です。支える人は誰からも、たとえば診察室の中だと医者と患者さんはよく話ますが、ご家族に「いやー、ご家族も大変ですね」ということを言う医者はあまり見ません。ですから、患者さんを支える人を支えてくれる人がいたほうがいいと思います。
かかりつけの先生でもいいですし、家庭医の先生が「娘さんも介護大変だと思うけど、大丈夫?」などと聞いてくれたら、ご家族もちょっとホッとするでしょう。訪問看護師さんが気をつかっていろいろやってくれたら、ご家族がそこでちょっとホッとできることもあるでしょう。だから家族が一人で頑張らないほうがいい。むしろ、そうなってると逆に危ないです。
[2]死は準備しておけば、それほど悲惨なものではない。
[3]家族や親しい友人が集まった時に、「人生会議」をしてみませんか。