時間感覚Photo:PIXTA

月45時間の残業は
短いのか長いのか

 もうすぐ4月。働き方改革関連法が施行される。

 残業は、原則月45時間まで。これを機によい働き方に変えて、成果をあげ、健康的に生きたい。

 さて、残業上限時間についてである。45時間は多いと思う人もいるだろうが、少なすぎるのではと思う人もいるだろう。というのは、時間の感覚は必ずしも客観的なものではないからだ。

 例えば、白熱したスポーツの試合を見ているとき、あっという間に時が経つ。まだ学生の頃、私は1979年に行われた、高校野球最高の試合といわれる伝説の「箕島高校対星稜高校」の試合をレフトスタンドで観戦していた。延長18回、3時間50分の試合であるが、手に汗握るその展開に熱中していた。12回裏の島田の同点ホームランも、16回裏のファールフライを一塁手が転倒したために命拾いした森川が打ったホームランも、いまだに目の前で起こったとおりに頭の中で再現できるくらいだ。時間の経つことなど完全に忘れていた。

 仕事も同じだ。興味がわき、面白いもの。良いメンバーで、いいチームワークのもとに進められる仕事は完全に時間を忘れさせる。夕食をとりながら議論をしているはずが、気がつくと終電の時間になっていることなどざらである。体感としての時間は1時間くらいなのに、実際には時計を見ると5時間くらい経っている。

 そういう寝食を忘れるような仕事が続けば、残業などあっという間に45時間を超え、100時間に近づく。それを超えることも普通にあった。

 まことにやっかい(?)なことに、それなりに年齢の高い、しかもそれなりの成功者といわれる人はみんなこのような体験を持っている。そしてそれを誇りに思っている。熱中できる仕事、場合によってはフロー体験ともいえるような幸せな仕事は、大成功することが多い。したがって出世をした人(成果を出した人)は、このような幸せな時間=「主観的な時間は短く客観的な時間は長い」という体験を、貴重な原体験として記憶の中に持っているのである。

 では、この主観的時間と客観的時間の違いはどのように生まれてくるのだろうか。