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 大学序列は偏差値ランキングと相似している。では、偏差値が世に登場する1962年より前の時代はどうだったのか。1961年の旺文社による大学難易度(経済・商学部)の一覧表をみると、地方大学が高学力の受験者から支持を集めていたことがわかる。朝日新書『地方大学再生』の著者で、教育研究者の小川洋氏は、かつては、大学名はもちろんのこと、学部(専門)の選択が重要だと考えられていたと指摘する。同書より内容の一部を紹介する。

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偏差値が登場する前の大学序列は?

1961年大学難易度(経済・商学部)一覧1961年大学難易度(経済・商学部)一覧(旺文社)
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 表は1961年に旺文社が模擬テスト結果から出した、経済・商学部の入学難易度表の一部である。数字は300点満点の素点である。当時の受験生の間では、受験先の選択において、大学名はもちろんだが、学部(専門)の選択が重要だと考えられていたことがわかる。とくにこの分野で特徴的なのは、どれほどの数の卒業生たちが、有力企業に就職して活躍しているかによって序列の順位が決まっていたことである。

 例えば、小樽商科大や滋賀大経済学部が、旧帝大である九州大や北大よりも上位にあることが目を引く。小樽商科大は、同じ道内の旧帝大である北大の遥か上位に位置する。小樽商科大と滋賀大経済学部には、それぞれ緑丘会、陵水会という同窓会が組織され、OB、OGたちが後輩たちの就職活動に重要な役割を果たしてきた。とくに緑丘会は北海道の経済界で圧倒的な存在感を持ち、陵水会は滋賀県を発祥の地とする多くの企業のネットワークに乗った支部を持ち、活発な活動を続けてきた。