もともと韓国の政治において、インターネットがこれほど大きな影響を与えるようになった理由を理解するには、今から12年ほど前にさかのぼる韓国版ジャスミン革命をお話しする必要があります。
1997年の東南アジア通貨危機の影響で深刻な経済危機に陥った韓国では、翌年大統領に就任した金大中(キム・デジュン)政権がIT産業を奨励し、インターネットが急速に普及しました。それだけでなく、インターネットの力をてこに、韓国の民主主義も大きく変化したのです。
ネット民主主義の風で、当選した政治家、落選した政治家
IT産業を奨励した、当の金大中大統領政権下の出来事は象徴的でした。野党から大統領に就任した金大中大統領でしたが、就任後初の国会議員選挙で、既存議員のほとんどを公認しようとしたのです。国民は政権交代で大きく政治が変わることを期待していたのに、これまで通り、昔ながらの利益誘導をしそうな議員ばかりが公認されたために、国民から大きな反対運動が起きました。
多くのNPOが立ち上げられ、公認反対運動本部を作ってインターネットを使って国民に広く呼びかけられました。公認された候補者については、学歴や経歴の真偽、これまでの政治活動、財産などの情報が調べられてウェブサイトなどで公開されました。
やがてこの運動は、公認反対運動から、公認された人に対する落選運動へと発展しました。候補者側は、落選運動に対しては、違法だと抗議し、検察も動き始めました。しかし、こうした落選運動を支持する有識者や弁護士が立ち上がり、「もし立件された場合は無償で弁護する」と公言し、さらに落選運動は勢いを増していったのです。
結果的にNPOなどの市民団体が訴えられることはなく、選挙では大物政治家の半数が落選、議員の約7割が入れ替わるという結果になりました。これが韓国版ジャスミン革命と呼ばれるものです。
次の大統領選挙では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏が、インターネット民主主義ブームの影響を大きく受けて当選しました。日本で言う、地盤(支持者組織)・看板(知名度)・かばん(選挙資金)の「3バン」を持たなかった盧氏は、インターネット上で生まれた「ノサモ」(ノムヒョヌル・サランハン・モイム:ノ・ムヒョンを愛する会の略)という運動を中心に支持者を集めました。
元々盧武鉉氏は勤めていた釜山(プサン)商工会議所を辞め、独学で弁護士になった人です。その後、民主主義のための学生運動を無償で支援する人権弁護士となり、それをきっかけに政治家に転身したのです。彼自身、プログラミングが得意だったため、インターネットを通じて、民衆と積極的にコミュニケーションを取っていきました。その中で、生まれたノサモを基盤に、13万人以上から政治献金も集まり、既存政治家の組織票に勝って与党候補になって大統領にまでなったのです。