伊藤忠商事は昨年、8年間の長きにわたって社長を務めた岡藤正広氏が会長最高経営責任者(CEO)に退き、鈴木善久氏が社長最高執行責任者(COO)に就いた。異能の商人の後継に指名された鈴木氏の使命は、総合商社のデジタル化という難題だ。(聞き手/ダイヤモンド編集部 重石岳史)
――昨年4月に社長に就任し1年2ヵ月が過ぎましたが、社長業には慣れましたか。
伊藤忠商事の社長業は2年目ですが、前職(航空機器製造ジャムコ)で社長をやっていましたから、例えば株主総会とか社長としてしなくてはいけないことは経験済み。ただ商社とメーカーは違う。商社は仕事が広範囲に渡るので、そういう意味でのダイナミズムはだいぶ違いますね。
一方で商社は事業会社を持ち、それぞれに経営陣がいるわけですから、細かいところまで入って自分でその良し悪しを判断するところまではしない。いわゆる間接的な経営で、そこをどう社長としてリードしていくかはなかなか難しい。メーカーでも例えば日立製作所さんのように大きな会社は、同じようなジレンマがあるのかもしれない。
――そもそも伊藤忠の社長になることは予期されていたのでしょうか。
いいえ、全く。
2011年に伊藤忠インターナショナル会社社長を退任し、僕はジャムコに行った。その時点でジャムコに骨をうずめると決めていたし、そのつもりでやっていました。
伊藤忠でそれなりのところまでやらせてもらったという感覚はあったし、自分としては伊藤忠の人生は一区切りかな、と思って向こうに行ったからね。だからジャムコの人たちとは生涯を共にするつもりでやっていました。
――ジャムコでの実績が評価されたということなのでしょうね。
そうなんだろうね。それは僕自分でなんとも言えることではない。岡藤(正広)会長の目に止まったということなのかもしれないとは思うけれどもね。
――岡藤会長からはどんな言葉を掛けられたのでしょうか。
今だから言って構わないと思うんだけど、15年11月に「今度新しいカンパニーをつくるから、戻ってきてくれんか」という話が突然あった。それで翌年4月に情報・金融カンパニーのプレジデントとして戻ってきたわけです。それで「これからは情報と金融だ」と。
――それは岡藤会長が言っていたんですね。
その当時ですね。「そういった分野を見られる人間が欲しい」ということでした。
だけど実際のところ、僕は航空機(部門)が長かった。米国の社長をやっていたから、そういう意味では幅広くは見ていたけれども、いわゆる金融や情報のビジネスに携わったことはない。でも(岡藤会長は)なんとなく大丈夫だろうと思ったんでしょうね(笑)。