スマートフォンのカメラや写真アプリなどデジタル技術の進展により、いまや写真を加工する「盛り」は当たり前になった。特に若い女の子の間では顕著だが、実物とあまりに違うことに違和感を覚える人も少なくないだろう。著書『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(太田出版)があるメディア環境学博士の久保友香氏に詳しい話を聞いた。(清談社 福田晃広)
自分らしくあるために
「盛る」女の子たち
一般に「盛り」という言葉で思い浮かぶイメージといえば、目が大きくなる「プリクラ」や写真加工アプリといったところだろう。
女の子たちは、当然かわいいと感じているようだが、男性や年配の人にとっては、過剰とも思える“デカ目加工”をした女性は別人にしか見えないため、違和感を抱く人も少なくないはずだ。
この男女の認識のズレは、何が原因なのか。久保氏はこう分析する。
「2008年ごろから、プリクラ機が作る顔の『目が大きくなりすぎて別人すぎる』と話題になりましたが、それを利用する当の彼女たちの間では、あくまでも『盛れている』範囲内だと捉えられていました。それは、彼女たちはコミュニティー内の友人たちのデカ目の顔写真を見続けているので慣れがあります。盛り全般にいえることは、コミュニティーごとの基準があり、日々その基準が変化していくため、外部の人にはなかなか理解できないのが難しいところです」(久保氏、以下同)
男性は「男にモテるために女の子は盛る」と勝手に思いがちだ。
しかし、盛ることに熱心な女の子たちに話を聞くと、そういう子はほとんどいないのが実態だという。
「盛る理由として、彼女たちが口をそろえて言うのは『自分らしくありたい』ということ。コミュニティーの外にいる人には同じにしか見えないのですが、コミュニティー内の人同士には、それぞれ差異や個性が見えるわけです。この盛りがかわいいのかどうかは、わかる人にわかればいいというスタンス。盛りに一生懸命なことに、男性への意識は基本的にありません」