永明寺(福岡) 投稿者:@matsuzakichikai [2019年8月4日]

法蔵菩薩が阿弥陀如来になったことの意味

 第1回目が掲載されたのは昨年10月1日のことでした。今回で連載50回目になります。

 今年も「掲示板大賞」の募集が7月1日から始まっていますが、この1ヵ月間で一番反響があったのがこの掲示板です。わずか数日間でリツイートが3万、いいね!が9万に達しています。

 これは説明するまでもありませんね。松本人志さんがツイートした「後輩芸人達は不安よな。松本動きます。」にかけたものです。

 松本さんのツイートは吉本興業内で起きたもめ事の収拾に乗り出す意思を示したもので、後輩芸人さんたちは松本人志さんに頼もしさを感じられたのではないでしょうか。松本さんは事態の深刻さを見かねて、若手のために動きだしたのでしょう。

 この掲示板を書かれた永明寺住職の松崎智海師は「阿弥陀様の頼もしさよ」とコメントを添えつつ、補足として以下のことをツイッターに書かれていました。

 阿弥陀如来はもとは法蔵菩薩という修行者で、煩悩に苦悩する衆生を救う仏になりたいと願われ、もしそれができないのであれば仏にはならないと誓われた方です。なので阿弥陀如来という仏がいるということは法蔵菩薩の願いは成就したということなので、私たちは救われることになります

 『仏説無量寿経』の中で、法蔵菩薩はすべての衆生を救うための方法を五劫(ごこう)という長さの間考えられ、修行をされて阿弥陀仏になられたと書かれています。「五劫」といわれても全くピンとこないかもしれませんが、『大智度論』の中で「一劫」とは、「一辺四千里(約2000km)の大きな岩に天女が100年に1度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなっても劫に満たない」とあり、五劫はさらにその5倍。つまり、法蔵菩薩は不安に悩むすべての衆生を救うための手立てを、とてつもなく長い時間考えられたということになります。ちなみにこの五劫の話が落語『寿限無』の中の「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ……」の元となっています。

 法蔵菩薩が阿弥陀仏になられたということは、わたしたちはみな阿弥陀仏の救いの中にいるということです。浄土真宗では熱心な信者のことを「妙好人(みょうこうにん)」と呼びますが、彼らは誰よりも救いを喜び、その救いに身をまかせています。

 日本の禅文化を世界に知らしめた仏教学者の鈴木大拙は「妙好人」の存在に大変興味を持ち、著書『妙好人』の中で、その救い(絶対他力)の温泉に、つかりすぎ、ひたりすぎるのが「妙好人」だと述べつつ、以下のように説いています。

 親鸞は『歎異抄』に、「みだの五劫思惟の願は、よくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人のためなりけり」というが、なるほどここに宗教経験の本質があると言い得る。宗教は個己の生活だからである。(鈴木大拙『妙好人』法蔵館)

 法蔵菩薩はすべての人々を救うために、五劫の間思惟されて阿弥陀仏になられましたが、「その救いが親鸞聖人のようにまさに自分一人のためであったと感じられているところが宗教経験の本質なのだ」と指摘しています。

 鈴木大拙が述べているように、個己(自分自身)を抜きにした宗教はありません。ゴタゴタの多い世の中ですが、「阿弥陀仏がまさに不安を抱えた自分自身のために動いている」と感じることができるかどうかが、結局のところ最も重要なのです。

今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。
全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!

(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)