なぜ生物は散逸構造なのか
生物の3つの定義のうちの1つは、代謝があることだった。
では、なぜ、生物は代謝を行うのだろうか?
もし、その問いに対して、「それは生物が散逸構造だからである」と答えれば、それは一応答えにはなっている。散逸構造をしているものには、必ずエネルギーや物質の流れがあるからだ。では、なぜ、生物は散逸構造をしているのだろうか?
散逸構造をしていることが、生物の本質でないことは明らかだ。なぜなら、台風やガスコンロの炎など生物以外で散逸構造をしているものもあるからだ。
私たちの知識が不完全であることを、いつも心の片すみに留めておこう。私たちには、わからないことがたくさんある。ということは、もしかしたら、「なぜ、生物は散逸構造をしているのだろうか?」という問い自体が、間違っている可能性はないだろうか。
あなたが宝くじで一等を当てたとしよう。まさに奇跡である。そこで、私はあなたに、「なぜ、あなたは一等を当てられたのですか?」と聞いた。あなたは何と答えるだろうか。
もしかしたら、あなたは「宝くじを買ったからです」と答えるかもしれない。まあ、それはそうだろう。そもそも宝くじを買わなければ、当たることもないからだ。でも、やっぱり、それは答えになっていない。だって、宝くじを買った人の大部分は、当たっていないからだ。
多分、本当の答えはないのだ。
あなたが一等に当たったのは、毎日神様にお祈りしたからでもなく、あなたの行いが良かったからでもなく、たまたま当たっただけなのだ。たまたま奇跡が起きたのだ。
散逸構造をしているものはたくさんある。その中で、生物は奇跡的に複雑で、奇跡的に長い期間(約40億年)存在し続けてきた。でも、それは偶然だったのかもしれない。散逸構造をしているものの中で、一番複雑で長生きなものが、生物と呼ばれるようになっただけかもしれないのだ。
もちろん、本当のところはわからない。でも、ここで立ち止まらずに、歩き続けよう。歩いていくうちに、わかってくることもあるかもしれない。生物学というものにゴールはないのだから。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)