ココイチのカレーはこうして生まれた

宗次徳二
Photo by M.U.

──ココイチのカレーはどうやって誕生したのですか。

 名古屋は当時からモーニングの競争が激しかったんですよね。ただ、私のお店はおつまみ類は有料にして、その代わり接客にはかなり気を配りました。その後に出前を始めて、ご飯物が欲しいよねとなって、妻がチャーハンとカレーを作ったんです。そのカレーが、火が付いたように人気が出ました。

 そこから、客単価や利益率が低い喫茶店よりも、食堂の方が良いかもしれないと考えるようになりました。人気だったカレーにメニューを絞って、ココイチを立ち上げることにしたわけです。ちなみに、そのときに使っていたのが、(壱番屋の親会社となった)ハウス食品さんの固形のカレールーです。ハウスさんとは、そのときからの長い付き合いなんです。

──そこから店舗数を拡大していったんですね。疲労がたまって緊張の糸がプツンと切れるようなことはなかったですか。

 疲れるというよりは、とにかく誠実に懸命にやっていると、顧客が目に見えて増えていくので、それが本当に楽しかった。ニコニコ、キビキビ、ハキハキという当時作った接客の方針は、今はココイチの社是になっています。

──事業を拡大していく中で、不安になってコンサルタントに経営の助言を求めたりすることはなかったのですか。

 経営コンサルタントみたいな人を雇ったことはありませんね。現場に行けば改善のヒントはいっぱい落ちていますから。工場を新設したこともあって、1999年に155億円まで借金の残高が膨らみましたけど、全然プレッシャーにならなかったですね。

 むしろこんなに返したぞと、毎月(返済)済みのハンコを押していくのが楽しかったぐらいです。身を粉にして働くのが、私には自然でしたから。

──そこまで猛烈に働きながら、なぜ50代前半で引退しようと思ったのですか。

 社長を退任したのが500店舗のとき、会長を退任したのが800店舗のときです。ココイチがまだ2店舗しかなかったときに19歳でアルバイトとして入ってきたのが、浜島(俊哉・前)社長でしてね。苦楽を共にし、人格的にも素晴らしい人だったので、もし社長をやりたいと思ったら私に申し出てくれと、あるとき言いました。

 まだ覚えていますが、その半年後の2001年11月5日に、彼から社長をやりたいという言葉をもらいまして。それで翌年に私は引退しました。

──よくきっぱりと辞めることができましたね。

 何もやることがなくなって病気になってしまうのではとか、いろいろな人に心配されました。当時の心境は自分でもうまく表現できなかったのですが、あるとき経営者の人と話していて「やり尽くしたからですよね」と言われて、まさにそうだと思いました。経営者としてすべきだと思っていたことをやり尽くしたのだと思います。