条件が満たされることはほぼない
しかしながら、実際にはほとんどの場合で上記のようなことがすべて満たされることはない。
そもそも、良い情報が上がっていないかもしれない。混乱の中、いつの間にか違う情報に変わっていたりすることもあれば、最初からうそまみれの可能性だってある。
きちんとした整合性のある組み合わせ解ができていないかもしれない。矛盾だらけの案になっている可能性もある。
科学的に推計しようと思っても、参考になる統計データがまったくないこともある。作業を遂行している人がベスト&ブライテストどころか、俗物の極みである場合もある。
意思決定基準がそもそもまともに作られていない可能性もある。自分の功名心のほうが先にあるために、ステークホルダーの利害などをわざわざしっかり考えていないかもしれない。ましてや個々のレベルの具体案までにはまったく考慮が及んでいないかもしれない。
不確実性が高く、刻々と状況が変わり、さらには時間的な制約がある中で、通常時の判断基準に拘泥する人々を納得させる解答を提示することは大変難しい。多くのセクターで、さまざまな不満が爆発するのも仕方がない。
なぜトップの人間力が重要なのか
と、ここまで理想論のようなことを述べてきはしたが、私はそんな状況にあったとしても、基本的には、冒頭で書いた通り、全体の責任者の言うことに従うのがよいと考えている。繰り返しになるが、(4)の価値判断基準を作るだけの情報を当事者以外の個人はとうてい持てないということ、さらには(5)の全体整合的な行動から得られる便益が部分最適的な行動から得られる便益よりも大きいと考えているからだ。多少おかしいと思うことがあっても、まずは提示されたプラン通りに実行してみて、一区切りついた後で検証を行うべきだと考えるのである。
しかしながら、実際には、個々が指示を聞かず勝手に行動し始めることによってプラン通りに事が進まず、実行そのものがうまくいかなくなって失敗することが多い。これでは、もともとが失敗案だったのか、個々のかく乱要素が全体の整合性を乱したせいで失敗したのかすらわからない。検証不能である。こうなると、失敗かつ検証不能ということで、社会は何も得るものがない。
社会は私のように、どんなときでも、まずはトップの意思決定を尊重したいという人ばかりではない。むしろ少数派であろう。さらに現在は影響力のある個人が自分の視点からそれなりに説得力のある代案を発信することも可能であり、フォロワーたちはそれぞれの意見になびく。そうなると全体的に整合性のとれた行動をすることなど絵に描いた餅になる。
だからこそ、プランそのものを良くするための最大限の努力と、全力を尽くしたという自信と迫力でもって人々を説得することのできる責任者(トップ)の人間力が必要になるのである。組織や社会において、どんな人がどんな状態でトップをやるのかということは、やはりとても重要なのだ。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)