かっこいい経営者の父
大震災で生活が一変
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──仙台市出身ですね。
はい、18歳まで仙台で過ごしました。ただ、中心部ではなく泉区なので、少し足を延ばせば田んぼが広がっているような所です。
家族は、経営者の父と、元々自営でメーク教室を開いていた母、それから二つ下の弟です。両親が仕事をしていたので、おばあちゃんに育てられました。
──小学校は地元ですか。
1学年1クラスしかない公立小学校です。だから6年間、同じ仲間と過ごし、友達の親も全員を知っているような状況です。
その中では、リーダーシップを取るタイプでした。学級委員だったし、運動会があれば応援団長だし、演劇発表会なんかでも主役。幼稚園のときからそうでした。
人が何かをやっているのを見ているのが、むずがゆいんです。すぐに、自分だったらこうやるのにと考えてしまうからです。
──この頃の将来の夢は?
サッカー選手です。小1のときに日韓ワールドカップが開催されて、宮城スタジアムでも試合がありました。友達と盛り上がったのを覚えています。
──中学校から私立中高一貫校の東北学院に進んでいますね。
父の母校でもあるんです。この頃は漠然と「お父さんってかっこいいな」と思っていたので、自分も行きたい、と。また、地元の公立中だとまたほぼ同じメンバーなので、外の世界を見たいという期待感も持っていました。
──お父さんをかっこいいと思っていたんですね。
外車に乗っているとか、当時はそういう単純なところです(笑)。それに、社員の人からも「三浦社長のお子さん」と一目置かれたり、家族で外食に行くとわざわざ店長が出てきて「いつもありがとうございます」とあいさつされたり。そういうのが誇らしくて、自分も将来はみんなからすごい、かっこいいと思われる仕事をしたいとは思っていました。
──お金持ちになりたかった?
そこは意識していませんでした。まあ、実家はそんなに貧しいわけではなくて、それがスタンダードだと思っていたので、もっと何かを得ようとは思わず、普通にやっていれば普通に飯を食えるんだろうと考えていました。
──経営者であるお父さんの姿を間近に見る機会はあったんですか。