武田薬品の6代目武田長兵衛
 1781年に、創業者の武田長兵衛が日本の薬種取引の中心地だった大阪・道修町で和漢薬の商売を始めたのが、武田薬品工業の始まりだ。その後、武田家の当主は代々、武田長兵衛の名を襲名してきた。

 今回紹介するのは、1951年9月15日号に掲載された6代目武田長兵衛(1905年4月29日~1980年9月1日)の談話記事である。43年に社長に就任、武田長兵衛商店から武田薬品工業に改称し、経営の多角化・近代化を推進した人物だ。74年に社長を退任する際には、いとこの小西新兵衛を後継に指名し、創業以来初めて武田家以外に社長職を譲った。その後、再び武田家からの社長となった武田國男は、6代目長兵衛の三男である。

 記事は「私は『企業の経営は人にあり』と、固く信じております」という一文から始まり、最後はこんな文で締められている。

「戦前であれば職長級の人が、長年真面目に働き、つつましやかに暮らして貯蓄に努めれば、20年後あるいは30年後に退職するときには、貸家の3、4軒も持って、気楽な余生を送り得る安定した時代がありました。
 しかし戦後あらゆる生活面のアンバランスのために、企業内の人の心は根底からの安定を期し得られません。これには諸物価、税金、その他、社会的にも経済的にも複雑困難な多くの問題が解決されなければなりませんが、真面目に働く人は、余生を何とか安心して送れる道が、開かれることを希望してやまない次第です」──。

 いささか乱暴な区分けかもしれないが、従業員を家族のように扱う家族主義的な「日本式経営」に対し、「西欧式経営」は従業員を生産要素と位置付けた職務中心の成果主義だ。グローバル経済の中で多くの日本企業が、成果主義にかじを切るようになった。武田薬品も同様だった。

 さらに武田薬品では2014年、英国の製薬企業出身でフランス人のクリストフ・ウェバーが社長に就き、急速にグローバル化を進めていった。19年1月にはアイルランドの製薬大手買収を完了し、世界有数のメガファーマ(巨大製薬会社)に変貌を遂げている。その過程で、従業員のリストラの話題もかまびすしい。

 ここ数年、武田薬品の株主総会は、外国人経営陣と創業家筋・OB株主の間で、経営方針を巡って大荒れとなるのが“風物詩”になっている。その背景にある武田家の経営観は、今回の記事にも色濃く表れている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

一つの企業も社会と同じく
有機的な組織体

週刊ダイヤモンド1951年9月15日号より

 私は「企業の経営は人にあり」と、固く信じております。古くから用いられてきたこの言葉が、私には、最も重要に感じられます。

「企業の経営は人にあり」。一つの企業も社会と同じように有機的な組織体であって、種々の仕事をする人が必要であります。そしておのおの異なった性質の個人が、種類や性質のそれぞれ違った仕事に携わり、企業組織体が全体として常に調和を保って運営されるのが最も理想的な形ではないでしょうか。