〈イーパーセル〉との出会い
2000年9月のある休日の朝、日本輸出入銀行、通称・輸銀(現JBIC)のニューヨーク事務所駐在の友人から一通のメールが飛び込んできた。
何気なく読んでみると、1996年にボストンで創業したITベンチャー〈イーパーセル〉が、日本法人を立ち上げる内容のメールだった。友人が僕の話をしたところ、何を思ったのか、創業者が僕にコンタクトを求めてきたのだ。
とはいえ、IT業界のことなどまったく門外漢の僕にしてみれば、当初は転身するつもりなどまったくなかったので、創業者(兼CEO)の相談相手程度になれればいいだろう、くらいに考えていた。
しかし、最初から創業者の男はマジだった。初対面の会食の場でもスカウトする気まんまんという空気が伝わってきたし、二回目の会食の後も、地下鉄の駅構内で終電近くまで、僕に向かって延々何時間も〈イーパーセル〉のビジョンを語って聞かせた。
「技術で世界を変えようじゃないか!」
彼の言いたいことは明確だった。〈イーパーセル〉が最高の頭脳を結集させて生み出したIT技術で世界の電子物流市場を制覇しよう。説得するなら、塵っぽい地下鉄の駅ではなくてせめて温かいコーヒーを飲みながらにして欲しかったが、彼の言葉に僕の心は動きはじめていたようだ。
「僕が加われば世界制覇も夢じゃない」という直感、「ちょっと僕のガラじゃない」というためらい、「門外漢のITの世界じゃ、さすがの僕も戦えない」という思考停止……。話を聞いた直後はこうした思いが頭の中を駆けめぐっていた。それが、その時の率直な感想だった。
でも、ベッドで意識がなくなる直前、「もしかすると、これかもしれない……」と、自らの真奥(まおく)の声が聞こえた気がした。相談相手程度ではなく、本気で取り組んでみるべきではないか……。
そして、38歳になる直前の秋、経営企画担当執行役(と言っても、創業者の世話役兼営業部長みたいな立場だった)として、入社を決意した。こうして僕の「世界を変える」新たな挑戦の日々が、ベンチャーの経営というカタチでスタートを切った。