黄金の釘を打ち込むつもりでやる
今年6月、3人の大先輩方と鎌倉で昼食をご一緒した。中心人物は、日頃から「人物と歴史に学べ」とご指導くださる人間学の大家で御年93歳、もうお一人は某元県知事、それから僕の人生の師のご長男だった。ふと自分の時間に戻る貴重なひと時だ。一流を目指すなら、超一流の先輩にゴシゴシ磨き上げてもらうのが一番だと思っている。
昼食をとった後、みんなで同道して北鎌倉の円覚寺(えんがくじ)を訪ねた。山門をくぐり左右の大きな杉を睨みながら、左の急坂を登った。息も絶え絶えになったが、今を盛りと咲き誇る美しい紫陽花(あじさい)が、僕らを目標の塔頭まで導いてくれた。円覚寺派前管長の足立大進(あだちだいしん)老師が温かく出迎えて下さった。
最近の政治や経済、さらには日本の文化や生活、勿論宗教に至るまでしばらくご高説を賜った後、老師が奥の部屋から「書」をお持ちになられた。与謝野晶子が詠んだ「劫初(ごうしょ)より作り営む殿堂に われも黄金(くがね)の釘(くぎ)一つ打つ」という「書」で、それを僕に下さったのだ。後に聞けば、訪問者4人の中で僕が一番若いので、「おいっ、若いの、しっかりせい!」という思いで書いて用意して下さっていたらしい。
「劫初」とは「この世の初め」のこと。全体としては「気の遠くなるようなとてつもなく長い年月の中に、自分が存在した証として決して錆びることのない釘を打ち込みたい」という意味になる。庫裏(くり)の畳の上に正座して、この和歌の解説を拝聴した時の感銘が、今も僕の心にあざやかに刻まれている。
後日、額装して、自宅玄関正面の壁に掛けた。毎日必ず目に飛び込んでくるから、「昨日の失敗に捕われず、明日の夢に溺れず、今日も一日一生懸命仕事をするぞ」と心に刻んで毎朝オフィスに向かっている。
最後に一言申し上げて、終わりにしたい。
今、自分の年齢がいくつになったか。それは、新たなチャレンジをする者にとって本質的な問題ではない。本当にやりたいコトが見つかれば、「逞(たくま)しい意思」と「炎える情熱」でそれに挑んでみたらいい。勿論、一大決心するのだから、「われも黄金の釘一つ打つ」、それくらいの気概を持って仕事と格闘して欲しいと願う。
(第5回は10月2日更新予定です)