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 障がいを持つ人たちは、持たない人たちによって守られ、支援されるべきであるという。それが常識であり、社会通念であり、むろん否定されるものでもない。スイスに生まれフランスで生きたカナダ人哲学者のジャン・バニエは、こうした考え方を昇華させ、むしろ障がいを持つ人たちを社会の中心に据えることを提唱する。そして彼らを理解・尊重し、友情を交わすことで、人々は「本当の人間」へと回復できると言う。それは、バニエ自身の実体験の中で育まれ、たどり着いた「実践知」に他ならない。大阪大学の堂目卓生氏は、こうしたバニエの思想こそ、「持続可能な共生社会」を実現する上で不可欠であると訴える。

「命」こそ持続可能な共生社会の核心​

編集部(以下青文字):大阪大学は2018年1月、未来社会を構想するシンクタンク「社会ソリューションイニシアティブ」(SSI)を立ち上げました。

堂目(以下略):未来社会といっても、5年先、10年先の未来ではなく、50年先、100年先まで見据えた「持続可能な共生社会」を構想しようと考えています。目指すべきは、「命を大切にし、一人一人が輝く社会」であり、SSIでは、命を「まもる」「はぐくむ」「つなぐ」という視点から、学際的に集まった研究者と現場の実践者が協働し、さまざまな課題に取り組んでいます。

哲学者ジャン・バニエの実践知<br />障がい者との共生は、自分の中にある「心の壁」の存在を知り、それを取り払おうとすることから始まる
大阪大学 総長補佐|社会ソリューションイニシアティブ長|大学院 経済学研究科 教授
堂目卓生 
TAKUO DOME
 慶應義塾大学経済学部卒業後、京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。立命館大学経済学部助教授、大阪大学助教授を経て、2001年より大阪大学教授。著書に『古典経済学の模型分析』(有斐閣、1992年)、History of Economic Theory: A Critical Introduction, Edward Elgar Publishing, 1994、The political Economy of Public Finance in Britain, 1767-1873, Routledge, 2004(2005年日経・経済図書文化賞受賞)、 『アダム・スミス』(中公新書、2008年|2008年サントリー学芸賞受賞)が、共著に『経済学』(日本経済新聞出版社、2007年)がある。

 今7つの基幹プロジェクトが進行しています。具体的には、「地域資源とITによる減災・見守りシステムの構築」「教育の効果測定研究」、世界各地の紛争解決を目指す「共生対話の構築」「SDGs指標の改善を通じた環境サステナビリティの促進」「地域住民の死生観と健康自律を支える超高齢社会の創生のための文理融合プロジェクト」「健康・医療のための行動科学によるシステム構築」「アフリカの非正規市街地をフィールドとした持続型都市社会モデルの構築」になります。詳しくは、ぜひSSIのサイトをご覧ください。

「ジャン・バニエ」という実践哲学者を知っているか

 SSIでは、シンポジウムやサロンで、カナダ人哲学者ジャン・バニエに注目し、社会的弱者との共生について問題提起されています。

 バニエの思想は、私がとりわけ思い入れを持って取り組んでいるものです。恐らくバニエについてご存じの方はそう多くないと思いますので、まず彼について紹介させてください。

 バニエは、1928年に5人兄弟の4番目の子として生まれたカナダ人です。2015年には、マザー・テレサやダライ・ラマも受賞した、宗教分野のノーベル賞ともいわれる「テンプルトン賞」を授与されています。実は大変残念なことに、今年(2019年)5月7日に惜しまれつつ他界しました。

 さて、彼の生い立ちはというと、父がカナダ陸軍少将だったせいでしょうか、第2次世界大戦中は英国・ダートマスの海軍兵学校に入学し、卒業後は士官として戦艦ヴァンガードに乗船していました。しかし50年、独学で哲学の勉強を始め、ついにはパリ・カトリック大学で哲学の博士号を取得します。博士論文は「幸福:アリストテレス倫理学の原理と目的」というものです。

 先生の研究テーマと同じですね。

 くしくもそうなんです(笑)。私は、ある賞の選考委員会の委員を務めていたとき、偶然バニエの存在を知りました。残念ながら、彼の受賞はかないませんでしたが、その思想と実践に強烈な衝撃を受けました。

 話を戻すと、バニエは博士号を取得した後、カナダ・トロント大学で哲学教諭の職を得ます。しかし、あるとき友人の招きによって、知的障がいを抱える人たちが共同生活するパリ郊外にある施設を訪問することになります。バニエはそのとき、「彼らへの偏見」や「異質におののく気持ち」といった心の弱さや貧しさが自分の中にあることに気付き、それを恥じました。