「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。死に対して、態度をとれない。あやふやな生き方しかできない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が9月29日に発刊された。コロナの時代の必読書であり、佐藤優氏「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。連載のバックナンバーはこちらから。

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イスラム教の信条

 さて、一神教のなかでいちばん論理がすっきりしている、イスラム教の信仰のあり方がどういうものか、ここで押さえておこう。

 イスラム教の信仰の基本は、つぎのふたつだ。

 a アッラーが、世界を創造した
 b ムハンマドは、アッラーの「最後で最大」の預言者である

 神アッラーが世界を創造した。アッラーのほかに神はいない。aは、一神教の宣言である。神アッラーは何ものか。それは、アッラー自身が知っている。アッラーが知っていればよく、人間は知らなくてよい。

 人間は、アッラーが何ものか、理解することはできない。ムスリムのひとに聞いたところ、イスラム教ではなにを議論してもいいが、ただし、神が何ものかを議論してはいけないのだそうだ。

 ムハンマドは何ものか。神アッラーの預言者である。このことは、神アッラーが知っており、ムハンマド本人も知っている。成人男性二人(アッラーとムハンマド)の証言があるので、このことは確実である。

 神アッラーは、多くの預言者を送った。モーセも、アッラーの預言者である。マリアムの子イーサー(ナザレのイエスのこと)も、アッラーの預言者である。よって、モーセに従うユダヤ教徒(イスラエルの民)も、イエスに従うキリスト教徒も、(広い意味で)イスラム教徒である。先のaを認めていることになるからだ。そのほかにも多くの預言者がいるという。

 そのなかで、ムハンマドは、「最後で最大」の預言者である。最大であるから、ほかの預言者よりも、ムハンマドに従うべきである。最後であるから、ムハンマドより後にもう預言者は現れない。ムハンマドの預言が書き換えられることはない。

 ムハンマドは最後の預言者だということは、ムハンマドより前に、アッラーの預言者たちがいたという意味である。彼らの預言に従うことを、アッラーは許している。つまり、イスラム教には、ユダヤ教、キリスト教のための場所がある。「寛容」である、と言ってもいいだろう。