経済産業省Photo:PIXTA

安倍晋三前首相の退陣とともに、2010年代を特徴づけた経済政策「アベノミクス」も一つの区切りを迎えた。日本銀行による異次元金融緩和を中心に据えたこの「異形の経済政策」がどのように形作られたのか、そしてその政策がどのように形成・継続されたのか――。いつ、誰が、何をしたのかという「ファクトファインディング」に徹した検証の結果、安倍前首相と「官邸官僚」と呼ばれた首相側近のイニシアチブが浮き彫りになった。だが、そうした政策決定はさまざまな副作用も指摘されている。特集『アベノミクス 継承に値するのか』の#4では、「首相+側近主導型」の意思決定の舞台裏を描く。(元時事通信解説委員長 軽部謙介)
*本文内敬称略、肩書は当時

「経産内閣」の源流は
“官僚排除”の民主党政治への反発

 アベノミクスに関連した政策立案プロセスで最も目立ったのは、「首相+側近主導型」の意思決定だった。

「首相1強」と呼ばれる政治体制の構築に直結したこの手法は、新型コロナウイルス感染拡大防止策で打ち出された「小中高校一斉休校」や「アベノマスクの配布」など、政権末期に至るまで徹底された。

 源流をたどっていくと、2012年末の政権再奪取前にまでさかのぼることができる。そしてそれはアベノミクスの原点形成にも連動していた。

 安倍が第1次政権の退陣後、政治の表舞台に再登場したのは、12年9月の自民党総裁選挙での勝利だった。その前後から気脈を通じる政治家や官僚が安倍周辺に集まってくる。

 その代表格は、経済産業省の官僚たちだ。

 政権復帰後に政務担当秘書官に抜てきされる今井尚哉(当時、資源エネルギー庁次長)、同じく首相補佐官に就任する長谷川榮一(中小企業庁長官退任後、東京大学公共政策大学院教授)、後に事務次官となる菅原郁郎(製造産業局長)ら一部の幹部やOBである。

 個人プレーが多く、経産省として組織的に統一された意思の下で動いていたわけではなかったが、彼らの動きは目立った。

 民主党政権下の12年秋、「近く実施される総選挙で必ず自民党が政権に返り咲く」と確信した経産官僚たちは、安倍に近く政調会長の役にあった甘利明や安倍本人の元に日参。「縮小均衡の分配政策から成長による富の創出が必要になる」と訴えた。

 当時はまだ民主党政権が続いていたのだが、「政治主導」と称して日常の細かな業務にまで口を出し、決定の場から官僚を徹底的に排除するやり方に反発は強く、霞が関では自民党復帰への期待が高まっていた。