「富の再分配」にスポーツのようなルールがあれば勝負は一変する Photo:REUTERS/AFLO

『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の著者ヤニス・バルファキス元ギリシャ財務相による連載。今回は、「富の再分配」をオリンピック種目になぞらえて競技ルールのあり方を考察します。学ぶべきは2人のルーズベルトの功績だと言います。

 オリンピックの100メートル決勝が間もなく始まる。スタート合図のピストルの音に大歓声が沸く。短距離走者たちがスタートを切る。だが30メートルも進むと、先頭走者は遅れた者に気を配るかのように速度を緩める。だが、それは自分の意志ではない。新たなルールにより、勝者と最下位を隔てる最大距離が厳しく制限されているからだ。

 所得・資産の再分配に反対する保守派が「妬(ねた)みの政治(politics of envy)」を嘆くときに思い描いているのは、この種のたとえ話である。彼らは、社会改良を謳う偽善者たちが、法律と懲罰的な税制によって、俊足ランナーである富裕層たちのスピードを落とそうとしていると考えてしまう。

 だが人生はオリンピックとは違い、才能と訓練によってアスリートのパフォーマンスが決まるわけではない。むしろ、古代ローマの闘技場において、完全武装の剣闘士らが丸腰の犠牲者を打ち負かすのに似ている。敗者は努力が足りずに負けるのではない。最初の武器の配分が非対称的だから負けるのだ。

 1950年代~60年代であれば、勤勉さと革新的な精神を頼みに貧困から抜け出して上昇気流に乗ることも、あるいは可能だったかもしれない。だが、それが可能だったのは、超富裕層(特に銀行)に対して、その資金の使い方に社会が制約を設けていたおかげである。ブレトンウッズ体制の崩壊に伴ってそうした制約が解除され、結果的に経済の金融化が進んで以来、長時間働き、素晴らしい天賦(てんぷ)の才を示しても無益に終わる可能性が生じてしまった。

 若者を中心に大半の人が直面している問題は、ウォーレン・バフェットのようなスーパースターが自分たちを置き去りにしているということではない。投資と賃金の低迷によって抑えつけられていることが問題なのだ。それというのも、努力や起業家精神、あるいは倹約とは何の関係もない理由により、富裕層がただ寝ているだけでもますます豊かになっていく、というシンプルな事実ゆえなのである。

 偉大なイノベーションの担い手でさえ、この問題と無縁ではない。ジェフ・ベゾスには先見の明があり、小売産業に革命を起こし、富を築いた。だが彼の2000億ドルもの資産のうち、その鋭敏な頭脳と起業家精神の報いとして与えられたのは、どの程度だろうか。そしてベゾスの現在の富のうち、単に過去の資産がもたらした副産物は、どの程度に相当するだろうか。