アフターコロナに待ち受ける「おぞましい世界」、2030年の政治経済シナリオ中世建築の代表的遺産が大聖堂だったのに対して、2020年代の「失われた10年」が人類に遺すものは高い壁と電流フェンスと大量の監視用ドローンになりそうだと筆者は嘆く Photo:gremlin/gettyimages

『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の著者ヤニス・バルファキス元ギリシャ財務相による連載。今回のテーマは2030年の世界です。コロナ禍で一段と浮き彫りになった政治の寒々しい現実。このままだと、暗黒の未来が待ち受けていると警鐘を鳴らします。

 今後10年について私が抱いている最悪の懸念を振り払うために、その寒々しい年代記を記しておくことにした。もし2030年12月の時点で、これが誤りだったことが証明されるならば、私たちを正しい行動へと駆り立てる上で、こうしたおぞましい予測がいくばくかの役割を果たしたことになるだろう。

 新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)を理由としたロックダウン(封鎖措置)が行われる前、政治はまるでゲームのようだった。政党は調子に浮き沈みのあるスポーツチームのように振る舞い、得点を重ねてはリーグの順位表で上位に進み、シーズン終了時の順位で誰が政権を担うかが決定される。だが、それ以外にはほとんど何もやらないに等しかった。

 そこへ、このパンデミックである。うわべだけの無関心さが剥ぎ取られ、政治の現実が露呈された。一部の人間には、他の皆に「あれをしろ、これをしろ」と命令する権力がある、という現実だ。かつてレーニンが「政治とは誰が誰に対して何をやるか」であると表現したことが、これまでになく的を射ているように思えた。

 ロックダウンが緩和され始めた2020年6月には、「パンデミックを機に、無力な者の代理としての国家権力がよみがえるだろう」という左派的な楽観論が残っており、友人らは、コモンズ(共有財産)や広い意味での公共財の復活について夢見ていた。

 私は彼らに、マーガレット・サッチャーが(英首相を)退いたとき、国家はその就任時よりもさらに大きく、さらに強力かつ集権的になっていたことを思い出させようとしたものだった。企業と銀行に支配された市場を支えるには、独裁的な国家が必要だった。

 権力者は、(権力が特定の少数者に集中している)オリガ―キー(寡頭制)的なパワーを保持するために、大規模な介入手段を駆使することをためらわなかった。パンデミックによって、それが変化すべき理由などあるだろうか。

 新型コロナウイルスは英国の首相と皇太子、さらにはハリウッド随一のスターの命さえ奪いかねなかった。だが実際には、命を落としたのはもっと貧しい人々や有色人種の人々だった。死神にとっては、彼らの命を奪う方が容易だったのだ。

 その理由を理解するのは難しくない。