堤 清二・西武流通グループ代表
 1980年代に入った頃、産業界では盛んに「ソフト化」という言葉が躍っていた。産業革命以降、土地や工場生産システムが経済を動かす価値の源泉だったのが、人間の頭脳や情報といった目に見えないものがあらゆる産業分野で最重要な“資源”とされるようになっていたからだ。伸び盛りのコンピューター産業でも、ソフトの市場がハードのそれを上回るようになり、「脱工業化の時代」とも呼ばれる、産業構造の転換が世界的に進みつつあった。

 83年1月1日号の「週刊ダイヤモンド」では新春インタビューとして、西武流通グループ代表の堤清二(1927年3月30日~2013年11月25日)が登場、「日本型ソフト化社会への着地」と題して、産業構造の転換をテーマに大いに語っている。

 当時、日本は第2次石油危機以降の長い不況に苦しんでいた。堤の話も、その状況分析と見通しから始まっている。実際には、国内景気は83年1~3月期を底に回復に向かうのだが、主因は輸出の伸びであった。自動車、電機、カメラなど高度な加工組み立て技術を必要とする工業製品の輸出は、同じく石油危機を乗り越え内需が回復してきた米国市場が支えることとなった。その結果、日本の貿易収支は急速に拡大し、日米間に貿易摩擦を引き起こすのだが、振り返ればそうした経緯が、80年代初頭から始まっていた「ポスト・インダストリアル・ソサエティ」への対応を遅らせた面はあるかもしれない。

 堤は「脱工業化、分かりやすく経営戦略の多角化と言い直してもいいんですけれども、多角化戦略が利益を生むのには、最短10年はかかります。従って、83年から多角化を始めたとしても、93年までかかるわけです。それはとってもつらいことですね」と語っている。確かに10年先に備えた投資を行うのは、言うほど容易ではない。

 しかし、米国はこの頃、「ものづくりは日本に任せた」とばかりに、ソフトウエア産業にシフトしていたともいえる。表向きは「日本にしてやられた」というポーズを取りながら、もうからないハードは日本にやらせて、したたかにソフトウエアやコンテンツに進むべき道を定めていた。価値を持つのは日本製のディスプレーではなく、そこに表示されるグーグルの検索結果やアマゾンの取扱商品群、ユーチューブやネットフリックスの映像であることを、現在の“真のソフト化社会”に暮らすわれわれは知っている。

「どんなサービスもものを伴うし、どんなものも必ずサービスを伴って、ハードとソフトは本当は密接不可分なんです。ただ、どちらにポイントを置いて評価するかの違いなんです」、あるいは「横断的なシステムを作ったところが勝ちだと思うんです」などと堤は語っている。その指摘は正しいだけに、歴史に“if”を持ち込みたくなる。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

今は第1次成熟現象下の不況
産業・社会全体が構造変化中

――世界的な不況で経済成長率が落ちているんですが、これは今までの、ハード中心の経済の仕組みそのものがある程度成熟して行き詰まった不況ではないかと思うんです。今の不況を堤さん流の解釈で切ってみるとどうなるのでしょうか。

1983年1月1日号
1983年1月1日号より

 今の不況についての理解の仕方には、循環性のもの、潜在成長力論、構造論、第1次、第2次石油ショックの調整過程の最終段階として捉えるという、4通りくらいあるように思われるんです。

 それはいずれも少しずつ正しいと思います。しかし、少しずつ不正確な点もある。いずれも少しずつ正しいというのは、いろんな要素が少しずつ不況という実態に加担している。つまり、石油ショックの調整過程の最終段階という要素も一部分あるし、政策の貧困のために潜在成長力がうまく動いていないという面もある。あるいは循環的な不況局面にどっぷり入ったという面もある。