60年代初頭という当時の日本の状況を振り返ると、戦後の再建過程による政府贈与と、50年の朝鮮戦争に伴う政府取引(軍関係)による国際収支の受け取り超過が一段落し、経常収支が赤字となる傾向にあった。日本経済の進む先である「輸出国」というイメージは、まだ国民全体で共有できていたわけではない。そうした雰囲気の中で、井深は本記事の中で輸出の重要さを説いている。
資源の乏しい日本は、多くの材料を輸入に頼らなければならないが、高い材料を使って特色のあるものを作り、輸出で稼がなければならないというのが井深の考えだ。「輸入は輸出を増やすための道具であるという考えを徹底せねばならない」と語り、「結局、輸出を増すには、輸出するよりも国内に売るほうが得だという観念から脱却し、日本は輸出をしなければ滅びてしまう国だということを頭に置いて、努力していくことだと思う」と結んでいる。
こうした井深の思いが現実のものとなり、60年代後半以降、日本の経常収支は黒字が定着し始める。日本製品の質が向上したのもさることながら、1ドル=360円の固定レートの下で日本製品の国際的な価格競争力が強まったのが大きな原因といえる。70年代には、2度の石油ショックの際に石油価格の上昇によって経常収支が赤字となったが、80年代以降は現在に至るまで、日本は平均してGDP(国内総生産)比で2%台の経常黒字を維持するようになった。
しかしながら昨今の日本の姿は、井深が60年前に思い描いたような輸出国とは乖離しているのも事実だ。経常黒字を支えるのは「モノの輸出」ではなく、海外からの投資収益である「第1次所得収支」で、貿易収支は慢性的に赤字に陥っている。また、旅行や輸送、保険や知的財産使用料などの出入りを示す「サービス収支」も、訪日外国人旅行客の増加によって2019年は黒字に転じた。今の日本は、製造業を中心とした工業立国。貿易立国ではないのだ。
そして、こうした日本経済の構造的な変化が定着しているところに、新型コロナ危機が襲った。世界経済がコロナ禍に包まれる中、貿易収支の赤字はもちろんのこと、海外子会社からの配当金の受け取りが減るなどで第1次所得収支も縮小している。訪日客が減り旅行収支も赤字になった。コロナ禍はいつか明けるが、その後に日本はどんな産業構造を目指すべきなのか。重大な局面である。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
商社や代理店に頼らず
自分の手で製品を広める
私どもの会社では、昨年の下期において、製品の48%を輸出した。今までも、月によっては56%を輸出したことがあるけれど期を通じて40%を超したことは初めてである。
私は昭和27年にアメリカへ渡った。テープレコーダーというものが、大体、形がついたので、外国のマーケットを開拓しようというわけである。
ところが、アメリカにはすでに立派なテープレコーダーができていて、入り込む余地がない。手ぶらで帰るのも残念だと思っていたところ、トランジスタの特許を譲ってもいいということで、これをつかまえて帰ってきた。
そして、これを商品化したのが昭和30年ごろである。世界で2番目である。