発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥・多動症)の当事者である借金玉さん。早稲田大学卒業後、大手金融機関に勤務するものの仕事がまったくできずに退職。その後、“一発逆転”を狙って起業するも失敗して多額の借金を抱え、1ヵ月家から出られない「うつの底」に沈んだ経験をもっています。
近著『発達障害サバイバルガイド──「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』では、借金玉さんが幾多の失敗から手に入れた「食っていくための生活術」が紹介されています。
働かなくても生活することはできますが、生活せずに働くことはできません。仕事第一の人にとって見逃されがちですが、生活術は、仕事をするうえでのとても重要な「土台」なのです。
この連載では、本書から「在宅ワーク」「休息法」「お金の使い方」「食事」「うつとの向き合い方」まで「ラクになった!」「自分の悩みが解像度高く言語化された!」と話題のライフハックと、その背景にある思想に迫ります(イラスト:伊藤ハムスター)。
「〆切前日の深夜1時」にすべき行動
たとえば、あなたは明日の朝までに仕上げなければいけない仕事と午前1時になっても取っ組み合っているとします。もちろん、明日の9時までに完成したものを上司に提出しないとお叱りを受ける。そして、この仕事を仕上げるにはどう考えてもあと7時間はかかるとします。このときに必要な行動はどちらでしょうか?
(1)ギリギリのところで仕事を終わらせて会社に駆け込む
(2)寝る
おそらく、ほとんどの人が(1)を選ぶでしょうし、これまでも(1)の行動をしてきたのではないでしょうか。しかし僕が考える正解は、(2)です。
(1)の選択は、確かに理論上はベストかもしれません。しかし、残念ながら人間の出力というのは不安定なもの。明朝までに仕事が仕上がらないことは十二分にあり得ますし、でっち上げたとしてもその出来が著しく悪い可能性も大いにあります。徹夜でフラフラの状態で上司の叱咤や仕事の直しの指示を食らうのは、最悪の結末です。
そうなると、いっそのこと開き直って寝てしまって十分なコンディションで上司に怒られつつ、なんとかその日にリカバリーをしてしまったほうがマシということは十分にあり得る選択なのです。実際、ほとんどの人が「こんなに進捗が出ないなら、いっそのこと寝ちまえばよかった」という体験をしたことがあると思います。
「休む」には強い意志が必要
実をいえば、「休む」という判断には非常に強い意志が必要です。というのも、人間は「休む」か「頑張る」かなら、「頑張る」という決断を非常に好む生き物なのです。これは、会社の会議で事業を撤退するか、あるいはもう少し頑張るかを話しあっても当事者たちの間では「もう少し頑張る」という結論しか出ないあの現象と全く同じです。かつての僕の会社でもそうでした……。
しかし、「頑張る」と決めることと本当に頑張れるのかというのは全く別の話。やると決めたことが全部やれるのであれば、人生に苦労なんてありません。休息をとるでもなく、かといって作業の進捗を出すでもなく、焦燥に焼かれる時間だけが過ぎていく。この地獄を回避することが何よりも重要なのです。
「休む」は意志の賜物で、「頑張る」はむしろ惰性なのです。
こうして偉そうなことを書いている僕も、まさしくこの罠にハマって痛い思いをしたばかりです。というのも、この原稿を書き始めた頃僕は胃が痛かったのですね。しかし、たいしたことではないと「頑張る」を選択し、病院にもいかずまとまった休息もとらなかった。結果として、僕はバタっと倒れてしまいこの原稿は大いに遅れることとなりました。こんなことなら、「申し訳ありません、ちょっとまとまった休みをください」とお願いしていたほうがよっぽどマシでした。
「1年後に生きていたいなら、今休め」
僕は軽度の胃潰瘍でしたからまだマシですが、これが「うつ」のような精神疾患になってくると話はさらに厄介になってきます。周囲の人間に「それは抑うつ状態でうつ病の入り口だから、すぐに休みを取らないと本当に厄介なことになるぞ(生死にかかわるぞ)」といってもあまり聞き入れられた記憶はありません。
「10年後によくなりたいなら、今頑張れ」みたいないい回しがあります。しかし、発達障害を抱え、長年精神を患ってきた僕の立場からいわせてもらえれば10年後の心配より、1年以内の自殺リスクのほうがよっぽど怖いだろ、というのが正直な感想です。
僕の友人知人たちも、何人も自殺しました。その中にはもちろん慢性の精神疾患を患っていた人もいましたが、バリバリと人生をこなしているところから急転直下そうなってしまった人もいました。もちろん、彼らは頑張ったのだと思います。死んだ人を悪くいいたくありません。「休む」という意志を持てなかったのが悪いのだ、なんてことをいいたくはない。でも、彼らはもう死んでしまっていて生き返らないのでやはり生きている人を優先しなければならない。いっそ、文句をいいに生き返ってきてほしい。
「休む」という判断を「よく頑張った」とほめてくれる人は、ほとんどいないでしょう。「死ぬ気で頑張れ」という人はたくさんいるというのに、本当にひどい話だと思います。しかし、あなたが「休む」と決めたその判断はいついかなるときであっても、ベターではあるのです、ベストではないにせよ。誰もそれを間違いだとはいえないのです。
いついかなるときでも「休む」という判断は正しい。そして、その苦しい判断をしたあなたは頑張っています。どうか、忘れないでください。