念願の板ガム進出で、トップのハリスと対決へ

 1954(昭和29)年の正月早々、全社員を前に重光は板ガムへの進出を明らかにした。そして秘かに開発を進めてきた初の板ガム「バーブミントガム」を同じ1月中に売り出した。天然ハッカ油など数種類の天然精油を配合した清涼感あふれるガムだった。

 板ガムへの進出はリスクが高いと社内では反対意見が支配的だった。「フーセンガムのロッテ」の評価は得られていたものの、板ガムは大人向けの商品であり、材料は多岐にわたり、製法も複雑だったからだ。

 板ガム市場は当時、ガム業界の王者と呼ばれたハリスが握っていたため、詳しくは後述するが、フーセンガムを含めたガム市場全体で見ても、ハリスが市場の半分以上を占め、ロッテが大ヒットを連発してやっとハリスの背中が見え始めたという状況だった。

 ここでハリス社の概要を説明しよう。同社の創業者は満洲引揚者の森秋廣で、43(昭和18)年に軍の肝いりで満洲の奉天(現・中国遼寧省瀋陽市)に食品工場を開設したのが実質的創業である。帰国後、中国で縁のあった鐘淵紡績(*1) の工場設備を借りて、ロッテ設立と同じ48(昭和23)年に売り出した「ハリスチョコレート」が大ヒットした。51(昭和26)年に板ガム「ハリスチウインガム」を発売するも品質に問題があって全量回収となるが、翌52(昭和27)年に投入した改良版が大ヒット、瞬く間に市場を席巻し、業界のガリバーとして君臨するトップメーカーとなっていた。

 世界最大のガムメーカーであった米国のウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー(以下リグレー)にちなんで、“日本のリグレー”になることを誓い、いずれはリグレーを超えるという野心を抱いていた重光にとっては、板ガムへの参入、そして打倒ハリスは必ず成し遂げねばならない悲願だった。

 そこで、重光が打倒ハリスの武器として打ち出したのが、植物由来の天然樹脂「チクル」だ。「ドッジ不況」の時にガムの研究を重ね、ガムを噛んだ後に残る、ガムの基材、いわゆる「ガムベース」に、外国製のガムは中南米製の天然樹脂を使っていることを、開発・技術担当の手塚を通じて知っていたからだ(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。

 この天然チクルを使うことで、当時のハリスがセールスポイントにしていた「GP(グラフトポリマー)チクル」という合成樹脂では得られない圧倒的な噛み心地の良さをアピールして、ハリスを圧倒しようと考えたのである。

 しかし、天然チクルは輸入調達が極めて困難で、不足する分はこれまでと同じ酢酸ビニル樹脂で補うしかない。ロッテ技術陣は天然樹脂(チクル)と合成樹脂(酢酸ビニル)を均一に溶解混合する技術を開発することで、国産初の天然チクル入り板ガム「バーブミントガム」の発売にこぎ着けたのである。

 これに噛みついたのがライバルメーカーたちだ。当時、天然樹脂のチクルは工業製品の原材料という認識であり、ガムの原料であることを知っている人はほとんどいなかったからだ。当時の厚生省も問題視したが、天然チクルを含む樹木「サポジラ」(和名チューインガムノキ)の樹脂をマウスに食べさせた動物実験(毒性試験)の結果を見て納得した。重光の狙い通り、チクル使用のガムはのちに「天然チクル=ロッテ」として高品質の代名詞となり、打倒ハリスの大きな武器となっていった。ただし、当時の重光は天然チクルを巡って同業他社と大々的に争うことはなかった。不足する天然チクルを確保し、管理貿易下のわずかな外貨割り当てを得る潜行作戦だったのだろうか。重光はこう振り返る。

「天然チクルを使用したガムの品質がすぐれていることには絶対の自信と確信を抱いていたのであるが、ただ天然チクルを強調することはいたずらに業者を刺激し、反対派を激高させるばかりである。天然チクルの説明は時間をかけて、じっくり行なわなければならないと決心した」(*2)

 54(昭和29)年の「バーブミントガム」発売以降、50年代後半はロッテの独壇場ともいうべき、メガヒットが続くことになる。主要商品で見ても、ミント系板ガムの嚆矢となった「スペアミント」(54〈昭和29〉年)、大ヒットしたフーセンガムを板ガム化した「グリーンガム」(57〈昭和32〉年)、フルーツの香りが絶賛された「ジューシイミントガム」(59〈昭和34〉年)、南極探検隊(南極地域観測予備隊)が南極に持参した「クールミント」(60〈昭和35〉年)と目白押しである。グリーンガム、ジューシイミントガム、クールミントの板ガムトリオは、発売から半世紀以上も経った今でも販売されているロングセラーの化け物商品である。

*1 1887(明治20)年に設立後、1920年代にかけては、日本企業最大の売上高を誇る大会社として君臨していた。戦後、非繊維事業にも進出して多角化を進める。社名は鐘紡、カネボウと変わり、2007年に解散、クラシエホールディングスなどにその事業が継承されている。
*2 『ロッテのあゆみ』只野研究所、1965年