社長として、ユニゾHDの規模拡大やEBOを実現させた一人の男がいる。名前は小崎哲資。みずほの副社長からユニゾHDに移った小崎氏の原動力は、みずほの総帥にまで上り詰めた男との権力闘争に敗れたことを機に、古巣に対して芽生えた怨嗟とみられる。特集『地銀転落 メガ銀終焉 銀行複合危機』(全10回)の#9では、徹底取材を通じて分かった、ユニゾHDに繁栄と混乱をもたらした男の前日譚をお届けする。(ダイヤモンド編集部 田上貴大)
みずほでトップを争った2人の男の顛末
1人はグループ総帥に、1人は系列会社に
1998年6月。梅雨前線の影響からさえない天気が続く中で、例年にはない熱狂の渦が日本中を包み込んでいた。渦の中心にあったのは、フランスで開催されたワールドカップだ。日本代表が悲願の初出場を果たし、日本サッカー史に新たなページを刻んだ。
遠く離れた異国の地で日本代表が戦い、国民の感情を揺り動かしていた裏で、東京・丸の内に構える今はなき日本興業銀行の本店でも、権力の頂点を目指す戦いのホイッスルが鳴っていた。
当時、「総合企画部副部長」という役職が命じられた2人の男がいた。1人はメガバンクグループの総帥までのし上がり、もう1人は系列会社への出向を命じられ、グループを去ることになる。
佐藤康博。この権力闘争に勝ち、みずほのグループCEOに上り詰めた男だ。佐藤はかつて、ダイヤモンド編集部のインタビューに対し、このように述懐している。
「ちまたで言われていた人が1人います。佐藤のライバルはあいつだと」――。
その男の名前は小崎哲資。これから語るのは、小崎がいかにしてみずほを救い、みずほを恨み、その怨嗟が出向先を混乱に追い込んだのかというストーリーだ。