「本当の治療はまだですか」
患者から質問されることも

 こうして長年にわたって普及に努めてきた口腔顔面痛の正しい知識は、まだまだ誰もが知るところとはなっていない。

 たとえば顎関節症。食いしばり、歯ぎしり、精神的緊張が大きく影響していることはだいぶ前からの常識なのだが、ネット等を見るといまだに「かみ合わせの異常が原因」と説いて治療を促す歯科医が絶えない。

「同様のことはアメリカでもまだまだ続いています。それで去年、米国科学アカデミーが、顎関節症の治療に関して現状と改善点をまとめた500ページ近いレポートを発表して、歯科医が顎関節症を単なるかみ合わせの病気にしてしまった弊害を説き、顎関節症は歯科医だけでなく、医療関係者が集学的に解明・治療に取り組むべきだと提言しています」

 面白い話が一つある。和嶋歯科医師が筋性の非歯原性歯痛や顎関節症の治療の際に治療の基本にしているのは患者のセルフケアとしての筋肉ストレッチなのだが、何軒もの医療機関を回ってさまざまな治療を受け、時には外科的治療まで施された患者にとっては、ストレッチは「物足りない」ようなのだ。

「ストレッチも科学的な研究が進み、どういうふうにすれば効果が上がるかもだいぶわかってきました。たとえば、痛みのない程度で30秒ぐらい持続させないと効果が出ないとか、口を開けるのも頑張って開けていると逆に筋肉が緊張して逆効果なので、上下顎に指を3本入れて力を抜き、指で顎を支えて、緊張が全くない状態で筋肉を引き延ばすようにするとかね」

 顎の筋緊張治療には理にかなっている上に、手軽にできて、副作用も全くない治療法なのだが、患者にとっては自分でやらなければならず、あまり治療を受けた気がしないのが難点だ。

「そのため、ストレッチを指導すると患者さんには『先生、本当の治療はまだですか』『かみ合わせの治療はしないんですか』と聞かれて、『いやこれが一番の治療なんですよ』と説明しています。最近はだいぶわかっていただけるようになりました」

 今では、日本口腔顔面痛学会には、臨床歯科医学各分野はもちろん、心療内科や臨床心理、基礎医歯学分野まで多岐にわたる専門家が参加し、痛みのメカニズムを明らかにし、治療に結び付けるための研究、意見交換に取り組んでいる。

「一方で、慢性疼痛診療体制構築モデル事業に、ペインクリニックや整形外科、心療内科等々に並んで歯科も明記されるようになっています。大事なことだと思います。

 昨年からは、フィリピンやインドネシアなど東南アジアの国々の若手歯科医師に向けた口腔顔面痛、非歯原性歯痛のオンラインセミナーも始めました」

 口腔顔面痛の「謎」は徐々に解明されつつあり、専門医の数も増えてはいるが、まだまだ道半ば。和嶋歯科医師の奮闘はこれからも続く。

(監修/慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科学教室非常勤講師 和嶋浩一)

◎和嶋浩一(わじま・こういち)
慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科学教室非常勤講師。1978年神奈川歯科大学卒業、1978年慶應義塾大学病院研修医(歯科・口腔外科)、1980年慶應義塾大学助手を経て、1995年より2017年まで慶應義塾大学専任講師。