東西パキスタンが
インドを交えて戦争状態に

 東西パキスタンのうち、政治の主導権を握ったのは西パキスタンだった。そのせいで東パキスタンは経済的に困窮。人口が多いのも、ジュート(麻)などの特産品があったのも東パキスタンだったが、国の中心は西パキスタン。この現実を東パキスタンはなかなか受け入れられなかった。

 さらに、言語の違いも東西の一体化を邪魔した。東パキスタンの公用語はベンガル語、西パキスタンの公用語はウルドゥー語で、それが相互理解を難しくしたのである。

 西パキスタンが「主」ならば東パキスタンは「従」であり、東パキスタンは次第に西パキスタンの“飛び地”のような存在になっていく。そうしたなか、西パキスタン主導の中央政府が1952年にウルドゥー語の全国公用語化を画策する。当然、東パキスタンは激怒し、反政府独立運動を開始した。

 そして1970年、ついに独立戦争が勃発。これに東パキスタンを支持するインドが介入してくると、今度は西パキスタンとインドの間で戦争がはじまり(第3次印パ戦争)、インド大陸は大混乱に陥ったのである。

 この戦いに勝利したのはインドで、インドの庇護のもと、東パキスタンは1971年にバングラデシュとして独立をはたした。

 一時は巨大な飛び地のような存在に追いやられていた東パキスタンだが、晴れて一国家としての地位を手にしたのである。