節税保険に過度に傾倒していたマニュライフ生命保険。その背景には、行き過ぎたアジアのリージョン(統括)支配の構図に加え、曼荼羅メールやストロング系マネジメントなど旧態依然とした経営陣のあきれた実態があった。特集『保険の裏 営業の闇』(全21回)の#3では、マニュライフの経営実態に迫る。(ダイヤモンド編集部編集委員 藤田章夫)
マニュライフ生命の有志が
金融庁に送った「告発状」の中身
告発状――。マニュライフ生命保険の有志が金融庁に送った文書がある(下写真)。ここに書かれた内容には、なぜマニュライフが過度に節税保険に傾倒していったかを読み解く鍵がある。
この告発状のポイントは大きく二つ。一つ目は、昨年10月に社長兼CEOに就任した、ブノワ・メスレ氏の強権的な言動について。二つ目は、アジア各国を統括するリージョンと呼ばれるバーチャルな組織が、いかに日本を支配しているかについてだ。
そのアジアのリージョンが日本に突き付けてくるのが、トップラインだ。
この10年ほど日本の業績は右肩上がりだった。2009年度末に6405億円だった保険料等収入は19年度末には約1兆円にまで伸び、同5.8兆円だった保有契約高は13.3兆円にまで増えている。
一見、順調に思えるが、変調の兆しが表れたのは17年ごろだ。「14~16年ごろは個人向けの保険も好調だったが17年ごろから低迷、この頃から法人のウエートが増えていった」と、元幹部は振り返る。ちょうど日本生命保険が一世を風靡した節税保険、プラチナフェニックスを発売した頃だ。
このプラチナ型の節税保険にはマニュライフも含め生保各社が群がったが、あまりの過熱ぶりに国税庁が大なたを振るった。それが、19年2月に起こったバレンタインデーショックで、その後、トップラインを稼ぐためにマニュライフが傾倒していったのが、名義変更プランだった。
名義変更は、中小企業の経営者が勇退する際、法人で契約していた医療保険などを個人名義に変更し、老後に備える手法として昔からある。だが、本特集の#1『国税庁を欺く「新型節税保険」を極秘開発!マニュライフ生命の内部資料で判明』で述べたような今はやりの名変プランは、租税回避行為と取られかねない危うい手法である。
そこまで傾倒したのは、中小企業の経営者や保険代理店から強く求められたのに加え、アジアやカナダ本国からのトップラインに対するプレッシャーが大きかったことが挙げられる。
節税保険の“一本足打法”は、税制が変われば一気に崩れ落ちる。早くに個人向け保険の割合を増やすなど方針転換すべきだったが、そうはならなかった。そこには、外資系生保出身で個人保険の達人とされる人物の入社取りやめや「中原ショック」、経営陣によるあきれた経営実態などの要因がある。さらに、外貨建て保険の歴史的大敗や事務ミスなども重なり、もはやマニュライフは内部崩壊の危機にある。以下、その様を詳らかにしていこう。