英語圏には「世間」はないため、日本のような「身分制」が存在せず、人間関係は基本的に「法の下の平等」のもとにあるから、相手が誰であろうがタメ口でよい。

「身分制のルール」は合理的な理由がない、いわば「謎ルール」なのだが、「世間」には後輩の先輩への絶対的服従など、この種の「謎ルール」がてんこ盛りにある。

 女性差別もその一つで、「世間」の「身分制のルール」のなかに構造的に埋め込まれている。

 森・元組織委会長の「わきまえている」発言が意味しているのは、まさに「女性は身分をわきまえろ」という「身分制のルール」のことに他ならない。

 ただしこの発言だって、「たかがあの程度のことで、なぜ辞める必要があったのか?」と思った人は、とくに男性に多いのではないか。

 女性差別だという実感がまるでないのは、そもそも「世間」自体が「身分制」という差別構造を持ち、女性差別がそのなかに見事に埋め込まれ隠蔽されるために、きわめて見えにくくなっているからだ。

夫との間で「母子関係」まで
背負うことを求められる妻

 日本の「世間」で、女性差別が見えにくい理由がもう一つある。

 たとえば、歌手で俳優でもある武田鉄矢さんは、3月にテレビ番組「ワイドナショー」に出演した際、西洋に比べて日本が「男性優位社会って言われていますけど、そんな風に感じたことはありません」と断定。夫婦関係を念頭に、「やっぱり日本で一番強いのは奥さんたちだと思いますよ」と発言している。

 どうだろうか。これを聞いて共感する男性は少なくないのではないか。

 やっかいなのは、夫婦関係において「日本で一番強いのは奥さん」と思い込んでいる人間に、社会関係におけるジェンダーギャップを指摘しても、まるで実感をもてないのではないかということだ。

 つまりここには、夫婦関係と社会関係において一種の「ねじれ」があり、夫婦関係では、男性より女性のほうが一見「強い」ようにみえる。しかし、この「ねじれ」は表面的なものにすぎない。

 たとえば昨年6月、お笑い芸人の渡部建さんの不倫問題が起きたときに、妻で女優の佐々木希さんがインスタグラムで、「この度は、主人の無自覚な行動により多くの方々を不快な気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございません」と、「世間」に謝罪したことは記憶に新しい。

 じつは、夫の不祥事を妻が「世間」に謝罪しなければならないのは日本特有の現象なのだが、「世間」が謝罪を要求するのは、夫に対して妻は母親としての「監督責任」があると考えるからだ。