一方、秀岳館高の強肩強打の捕手で主将も務めた藤吉は、14年の育成ドラフトで中日に3位指名されて入団。当時兼任監督だった谷繁元信を目標に掲げ、「自分は配球面が課題なので、監督から学びたいです」と1軍昇格に意欲を燃やしたが、3年目の契約満了となった17年オフに育成選手として再契約後、「環境を変えてやり直したい」と思い直し、アマチュア球界復帰を目指して、自ら退団を申し入れた。

 2人の退団は、育成ドラフトがプロへの門戸を広げる一方で、レベルの違いから自信を失い、早期の自主退団者を生むという、二面性を有していることを如実に物語っている。

 同じ自主退団でも、球団側が選手に求めたとされるのが、17年の巨人・山口俊(現ブルージェイズ)の事件だ。

 同年7月11日未明、山口は都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。その後、訪れた病院で、出入り口の扉の損壊や男性警備員への暴行に及んだとして、傷害と器物損壊の疑いで書類送検された。

 山口は8月23日に不起訴処分になったが、事態を重く見た球団側は11月30日までの出場停止や罰金、出場停止期間中の減俸の処分を科すことを決めた。

 これに対し、日本プロ野球選手会は「処分は不当に重い」として再検討を求めたが、当初球団側が山口に自主退団を要求し、その後、複数年契約を短縮することになったという話も選手会側から明らかにされた。

 処分が明けた山口は、19年まで巨人でプレーし、同年は15勝4敗の好成績で最多勝、最高勝率、最多奪三振を獲得するなど、5年ぶりのリーグ優勝に貢献した。もし自主退団になっていたら、シーズンの結果も違ったものになっていただろう。

 真相はどうあれ、自主退団が違った意味で用いられた一例である。

 最後に志半ばでプロ野球界を去る東野が、セカンドキャリアで成功を収めることを切に願いたい。

(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

AERA dot.より転載