野球少年の胸を躍らせた
野村選手の圧倒的な底力
元プロ野球選手・監督の野村克也さんが、お亡くなりになりました。私の世代にとってはとても思い出深い方でした。
確か、私が小学校に入学した年だったと思います。「お父さん、ホームランを一番打つのは王貞治選手だって本当?」と父に尋ねたところ、「違うよ。日本一のホームランバッターは南海の野村選手なんだぞ」と教えてくれました。1960年代の話ですが、当時は男の子は誰もがプロ野球が大好きでした。
名古屋出身の私も友達も、当然のように中日ファンで、みな当時のスラッガーだった木俣達彦選手の大ファンでした。ところが東京から転校してきた友だちが、「バカだな。木俣よりも王の方がずっとたくさんホームランを打つんだ」と、巨人のことを自慢してきたのです。
新聞で調べたらその通りだったので、がっかりしたその日の夜、父から「王選手は一番ではない」と聞いて、ちょっと嬉しくなりました。それが、野球少年の私が野村克也選手に興味を持ったきっかけでした。
私の頭の中では、今でも野村克也さんというと野村選手であり、思い浮かべるのは眼鏡をかけていない現役時代のお顔。そう、あえて野村選手と呼ばせていただきますが、彼こそは当時の記録で王も長嶋茂雄も敵わない圧倒的な日本一のスラッガーでした。
なにしろ戦後唯一の三冠王で、ホームラン550本(当時)は圧倒的。1962年から68年までの7シーズンは、王と野村の2人がそれぞれセパ不動のホームラン王に輝いています。その体形から、野村選手は日本のベーブ・ルースと呼ばれていた。そんな時代があったのです。
子どもというのは、自分が興味を持ったことについて、一生懸命情報を集めるものです。私もそうでしたが、当時パ・リーグの試合は名古屋では全く見ることができませんでした。テレビ中継は名古屋では中日か巨人の試合だけ。プロ野球ニュースもないし、普通のニュースで流れるのは試合結果だけ。興味があるのに数字でしか知ることができないもどかしさが、ありました。