だが日米安全保障条約では 共同防衛について、「各締約国(日米)は、日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処する」(第5条)と定めている。

 日本が攻撃を受けていないのに、米国や他国が攻撃されれば日米は緊密に協力して共同対処するという日米防衛協力の指針は、安保条約とは全く異なる規定だ。

 こうした取り決めをするなら、まず安保条約を改定する必要があったはずだ。

 この指針は日本を守るための日米の「防守同盟」が広範囲の「攻守同盟に」変わった歴史的転換だろう。これには前例がある。

 日露戦争終結直前の1905年8月に日英同盟が改定され、それまでロシアを念頭に置いて防衛協力を定めた条約の適用範囲を英領だったインド以東まで広げ、日本陸軍がインドの治安維持、英国の権益保護に出動するようにし、一国が攻撃されれば他方も参戦することになった。

 ロシアが敗北して日英同盟の基盤だった共通の脅威が消えた後も、日本は日英同盟を外交戦略の「骨髄」と称して維持しようとしたのだ。

 日米安保条約は日本が米軍に無償で基地を提供し、その代わり米国は日本を守るという趣旨の条約だが、2015年日米防衛協力の指針の改定により、日本は攻撃されていなくても、米国および米国が支援する第三国の防衛にも協力することになった。

 ただ、指針では日米は国際法、憲法、国内法に従って武力行使を決定することになっているから、米国が国際法に違反した武力行使を行ったり、米軍と自衛隊の共同行動が日本の憲法や国内法に触れたりする場合には日本は協力できない建前だ。

 だが仮に米中衝突の事態になった際にこの原則が守られるのかどうか。

 米国はイラク戦争では、国連安全保障理事会の反対を無視して「イラクは大量破壊兵器を造っている」として攻撃し、占領した。だが大量破壊兵器を保有しているという証拠は何も発見できなかった。

 ベトナム戦争でも米国は、「北ベトナムの魚雷艇が公海で米軍駆逐艦を攻撃した」との偽情報を流して、北ベトナムを爆撃、ベトナムの内戦に介入するなど、国際法に触れるような軍事行動をし、その合法性を主張した例は少なくない。