とにかく1回接種の英国、目標を示したドイツ
日本の政治家と科学者に欠けていたもの

 図に見るように、ワクチンの接種を受けるか、感染するかして免疫を持った人が60万人(人口の60%)程度となれば、感染は落ち着いていく。しかし、感染によって感染を落ち着かせる(自然な集団免疫を獲得する)ことは、恐るべき事態を招く。

 図にあるように、1日当たりの感染者数が2万人という状況がしばらく続く必要がある(1万人を超える状況が約27日間)。これは人口を100万人としているので、日本の人口で考えればその127倍、254万人の新規患者が発生することになる。累計で60万人、日本の人口に引き直せば7600万人が感染するということである。その1%が死亡するとすれば76万人の死者が出ることになる。

 一方、ワクチンは免疫をもたらすが感染はしないので(100万人に1人程度の副反応はあるが)、感染なしに免疫者を増やし、感染者数を収束させることができる。感染者数は1000人余で収まる。日本の場合、最大で10万人余りである。

 もちろん、ここで試算した数字は例であって、現実の数字を予測しようとしたものではないが、ワクチンがなければ、人口の半分以上が感染しないと収まらないというのは確かである。

 私が疑問に思うのは、ワクチンがなければ恐るべき事態になるのが分かっているのに、なぜワクチンの入手に遅れたのだろうかということだ。もちろん、ファイザーやモデルナのような高性能のワクチンができることそれ自体を予測できなかったことは仕方がないが、チリの例を見れば、旧来型のワクチンでもある程度の効果は期待できたのだ。

 コロナ対応には、日本人のシニシズム(冷笑主義)があるような気がする。できる手段を動員して、少しでも良い方向に社会を進めようという気概が感じられない。

 一方でイギリスは、注射をする人員が足りなければ、社会人になっていない10代を含む素人を訓練して、注射できるようにした。1回でも効果があるならと、とにかく1回目の接種をすることに全力を費やした。

 ドイツのメルケル首相は、2020年3月18日の評判になったスピーチでは「ウイルス感染の拡大の速度を落とし、その間に研究者が薬品とワクチンを発見できるよう、時間稼ぎをするのです」と語っていた。ここには、国民が努力して時間稼ぎをしている間に、ドイツ政府が国民のためにどのような成果を目指すのかが明確にされていた。

 そして、ドイツの科学者が設立した製薬ベンチャーのビオンテック社が、米ファイザーと協力してワクチンを作った。私は、日本の政治と科学に私たちを救ってほしかった。