歴史的に根強い
「中華思想」

 中華と聞くと中華料理を思い浮かべるかもしれませんが、世界の中心である中華のまわりには北には北狄(ほくてき)、東には東夷(とうい)、西には西戎(せいじゅう)、南には南蛮(なんばん)と、野蛮な国々がある。そうした野蛮国からは、天子の徳を慕って挨拶にやってくる。こうした世界観が中華思想です。

 挨拶にくる周辺国の中には、直接、中華の皇帝の家来になる国もあります。そうした中でも一番のエリートが朝鮮半島の王朝とベトナムで、この国々のトップは「王」として皇帝の直接の家来となりました。そのため元号も自前ででは持たずに、中国の皇帝が定めた元号を使っていました。

 中華思想については華夷(かい)思想という呼び方もあります。中華の華に、異民族の夷で華夷思想。こうした思想が、中国には根強くあるわけです。

 その華夷思想の継承者として、元は国を立てた。だからフビライ・ハンにしてみると周辺の国々はモンゴルの、元の徳を慕って挨拶にやってくるべきなのです。逆に挨拶に来ないとなると、それは元の威信に関わる自分たちのメンツを潰す振る舞いということを意味するのですが。

驚くくらい丁寧だった
フビライの国書

 それゆえフビライは日本にも使節を派遣しました。そのときの国書が残っています。読んでみると、びっくりするぐらい低姿勢。低姿勢というか、とても丁寧なのです。

 たとえば文書の最後は「不宣」で締められています。これは私人の手紙であれば「敬具」にあたる書き止めであり、しかも比較的平等な関係で手紙をやりとりするときに使われるもの。その内容は「今度中国大陸に元という王朝ができました。ですから元の皇帝の徳を慕って、あなたたち日本の国も使者を派遣して挨拶に来なさい」というものでした。

 たとえばSF小説『銀河英雄伝説』の作者、田中芳樹先生などは、この文書は衣の下に鎧が見えているようなもので「言うことをきかなければ滅ぼす」という意味だとおっしゃっていました。

 ただ、僕はそこまで深読みしなくてもいいのではないかと思います。侵略するといっても、実際に軍を差し向けて征服するのは、どこに兵を派遣するにせよ、大変なお金がかかるわけです。しかも日本については、趙良弼から「征服してもうまみはない」というレポートまで上がっている。

 であれば、使者だけきちんと派遣し、頭を丁重に下げて挨拶してくれればそれでいいと、フビライは考えていたはず。それで皇帝としての威信は十分に成立する。そしてこれが東洋史の研究者の方々の意見です。

 だから日本の採るべき態度としても、フビライの国書をきちんと読み込み、元にしかるべき使者を派遣していれば、それでよかったのではないか。