【時代の論客】ひろゆきが「ダメな人の味方をする」意外なワケひろゆき氏(撮影:榊智朗)

「ダメ」にもワケがある

 子どもも多くて、みんなが貧乏でヒマだった。

 その地域全体で子育てをする感覚があった。よその家の子どもをみんなが知っているので、友達の家でごはんを食べたり、泊まり合ったりした。

「共同体」のような生態系の中で、競争せずにダラダラ過ごせる支え合いが大事なのだとぼんやり考えた。

 しかし、大人になり、他の地域の人たちと話すようになってくると、自分の当たり前が当たり前じゃないことに気づく。あるいは、別の地域で暮らしてみると、基準の違いが見えてくる。

 ということで、僕は「働かないといけない」という感覚が圧倒的に乏しい

 しかし、世の中には、大学に行かなかっただけで「もう人生は終わりだ」と感じてしまう人もいる。

 そうやって基準が高いところにあると、生きにくいだろう。

 団地出身で大卒は少数派だが、食いっぱぐれて死んだ人なんて見たことない。

「自分は底辺だからダメだ」などと腐ってしまいがちな人も、自分より生きにくい人が周りにいると、ダメだと思わないはずだ。

 人のダメさを認められない人が多い。エリートのような人だって、一皮むけば悪さをするような人だっている。完璧な人はいないことを誰だってわかっているはずだ。

 ダメにもわけがある

 親がダメだからそうなったとも言いがたいし、本人の意思でどうこうできる問題でもなかったりする。

「そういうことになってしまった」と、状態を受け入れるしかない。

 そして、団地という箱は、ダメな人の存在をも受け入れてくれた。

そして、すべてが「消えた」

 人を判断するときに、守りに入る人を攻撃したい気持ちはわかる。

 ただ、弱者には弱者の生存方法がある

 一度でも安い団地に住める権利を手に入れてしまえば、その後、普通に稼げるようになったとしても、代わりに親戚を住まわせたりするパターンもある。

 彼らは「一生この団地で住んでいくぞ」という覚悟があったのだろう。覚悟を決めた人は、全力で守りに入るのだ。

 しかし、僕の実家だった税務署宿舎はすでに取り壊されてなくなっている。

 また、僕が通った小学校と中学校も少子化が理由でなくなった。幼稚園も通っているときに潰れて、別のところに移ったが、そこも潰れてしまった。

 こうして僕の思い出の場所は、どんどんなくなっていった

 今はパリに住んでいるけれど、「懐かしい」「帰りたい」「地元が恋しい」と思ったことは一度もない。

 幼稚園、小学校、中学校がどんどん潰れていき、高校は赤羽の隣のにある街だったので、地元で通っていた場所は、すべて跡形もなく消えていった。

 だから僕には、「地元がちゃんとあって、それを守っていく」という感覚が抜けているかもしれない。でも、そのほうがラクだ。懐かしむ時間も少ない。

ひろゆき
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、16万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。