見逃されたもう一つの問題
大都会の「医療難民」を目撃

 筆者は21年5月3〜6日に厚生労働省地域支援班の一員として、大阪市内のコロナ患者のご自宅を何軒か訪問した。衝撃的な体験であった。

 新型コロナウイルスの英国変異株は家族全員が感染するケースが多い。つわりのひどい妊婦が高齢者を介護し、喘息の夫を支え、子どもは痙攣で救急搬送される。妊婦は同年代の女性と比べ、コロナで重症化するリスクが高いにもかかわらず、彼女が一家全体の世話をせざるを得ない。全員が水分摂取もままならず、医療から取り残されていた。酸素の体内への取り込み具合を示す指標では、コロナ肺炎としては家族全員が軽症となるため、救急車を呼んだものの搬送先が見つからなかった。

 幸い、この一家は地域の在宅診療につなげられた。コロナ肺炎自体は軽症でも、高熱が長く続いて衰弱する人は多い。点滴をすれば回復できる人が、医療を受けられないというのは盲点だった。高齢者や妊婦、小児、喘息患者など不利な条件がそろえば、極めて危険な状態になり得る。さながら大都会の「医療難民」だ。

医療崩壊をどう防ぎ、最小化するか
「災害医療」へシフトすべきだ

 大阪から学べることは何だろうか。

 日本の高度医療機関では、死因の第1位である「がん診療」が中心だ。しかし、「災害」が起きて医療ニーズが変わった際は、医療提供体制もシフトしなければならない。

 震災で大けがをする人が多ければ、重症外傷患者の手術を増やさないと命を救えない。それと同じで、コロナによって若年者でさえ重症肺炎になる人が急増すれば、重症呼吸不全患者の人工呼吸管理を増やさないと命を救えない。トリアージは重症度と緊急度に基づく。疾患の種類にかかわらず、「今すぐ命に関わる人」を優先する医療体制にシフトすべきだ。

 誰が音頭を取るか。かかりつけ患者とそれに対応する専門家を抱え、既存の収益モデルを確立している各医療機関は、通常診療を守ろうとする。従って、英国では国が、株式会社病院の多い米国でも非営利組織が、個別の医療機関を超えて指揮命令を下す仕組みがある。日本にはそれがない以上、行政が表に出ざるを得ない。この点、大阪のリーダーシップは強力であった。

 行政が前面に出ることの副作用は、極端な采配が起こり得ることだ。大阪大学医学部附属病院では、5月の大型連休期間を中心にICU30床全てをコロナ患者用にシフトした。大阪の重症患者は極限まで増えており、当時の当局の判断に異論はない。しかし、本来であれば阪大病院にしかできない診療をいかに守るかという視点も、極めて大切なはずだ。