武田薬品「破壊と創造」#4Photo by Kazutoshi Sumitomo

かつて無借金経営だった武田薬品工業は、今「大借金王」となっている。「破壊の10年」は正しい道だったのか。特集『武田薬品 「破壊と創造」』(全7回)の#4では、過去の「週刊ダイヤモンド」インタビューを基に、武田國男元社長が描いていた武田薬品の姿と今の姿を比較し、通信簿を付けた。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

國男元社長と重なる
ウェバーCEOの軌跡

「10年後、うちの会社はないかもしれない」

 歯に衣着せぬ物言いで知られた武田薬品工業最後の創業家出身トップ、武田國男氏(1993年~2003年社長、03~09年会長)は2000年代半ば、記者たちの前でも、ずけずけと思いの丈を述べていた。

 國男氏は社長に就任すると、食品、化学、農薬などの多角化路線から医薬品事業1本に集中するため、リストラに踏み切った。取締役の数を減らし、社員には成果主義を導入。「社員やOBから強引との批判が多く寄せられた」(著書『落ちこぼれタケダを変える』より)という。

 今でも「武田薬品の混迷は國男社長時代から始まっていた」と陰口をたたくOBが少なくない。この辺り、革新性のある医療用医薬品事業への集中を掲げてリストラを断行し、やはりOBらから批判を浴びている現経営トップ、クリストフ・ウェバー社長兼CEO(最高経営責任者)と軌跡が重なる。

 國男氏が率いた時期の業績は、02年3月期決算で日本の製薬会社初の売上高1兆円超えを達成するなど、絶好調だった。大稼ぎできる大型医療用医薬品が四つも花開いたからだ。だが終盤はこれら大型品の特許が切れた後の屋台骨を見いだせず、冒頭のようにぼやいていた。

 10年代に入ると、長谷川閑史前社長、ウェバー社長兼CEOによって研究所再編や資産売却など、スクラップする経営判断が目立った。それは新生タケダを創造するためのものではあったが、判断の中身はこれでよかったのか。

 國男氏であれば何点を付けただろうか。