Photo by Hasegawa Koukou1本の木のうち、消費者に届く部分は25%で、残りの75%の部分は捨てられるという Photo by Hasegawa Koukou

JR東日本に入社後、『ecute』プロジェクトを立ち上げ、「エキナカ」の文化を定着させた鎌田由美子氏。サーキュラーエコノミー(循環型経済)の観点から地域の1次産業を見つめる鎌田氏が、現代人のライフスタイルにおいて大きなポテンシャルを感じているのが「地域の1次産業×サスティナブルなものづくり」です。今回の対話の相手は、東京都檜原村で林業を営む若者の集団「東京チェンソーズ」の青木亮輔代表。全産業中、林業がもっとも労災の発生率が高い主な要因、約60年かけて育てた木が「たった3000円」でしか売れない現状、1本の木の75%が捨てられ25%しか消費者に届かない理由、東京都檜原村を「木のおもちゃの村」にする一大プロジェクト…。「林業は伸びしろだらけ」と語る青木氏に、林業の未来についてお聞きしました。(構成/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)

衰退する林業に命を吹き込むべく
立ち上がった若者集団

鎌田由美子氏鎌田由美子(かまだ・ゆみこ)
ONE・GLOCAL代表。1989年、JR東日本入社。2001年、「エキナカビジネス」を手がけ、「ecute」を運営するJR東日本ステーションリテイリング代表取締役社長に就任。その後、JR東日本の本社事業創造本部で「地域再発見プロジェクトチーム」を立ち上げ、地産品の販路拡大や農産品の加工に取り組む。2015年、カルビー上級執行役員就任。2019年、ONE・GLOCALをスタート。近著に『「よそもの」が日本を変える』(日経BP) Photo by Teppei Hori

 国土の70%が森林で覆われている日本。しかし、森林を管理する林業従事者は年々減少し、林業は衰退の一途をたどっている。となるとこの先、一体誰が、我々が飲む水の質を守り、土砂災害を防止するのか――?

 サーキュラーエコノミー(循環型経済)の観点から地域の1次産業を見つめる鎌田由美子氏が今回、注目したのは、島部を除くと東京で唯一の村となった檜原村で林業を営む若者の集団、「東京チェンソーズ」代表の青木亮輔氏である。

 2006年に創業し、2011年に法人化した東京チェンソーズは、「木に付加価値をつけ、小さくて強い林業の実現」「儲かる林業、持続可能な林業」を掲げ、東京の木のブランド化、「1本まるごと販売」や「6歳になったら机を作ろう」といった取り組みだけでなく、おもちゃ工房やおもちゃ美術館の設立など、檜原村を「木のおもちゃの村」にする一大プロジェクトの推進など、これまでの枠組みにとらわれない林業の形を模索している。

「林業は伸びしろだらけ」と語る青木氏の思い描く、林業の未来とは?

――ここ(東京チェンソーズの自社有林)はすごいところですね。東京とは思えないほど自然が豊かで、皆さんの想いが伝わってくるような空間です。このあたりにある木は、ヒノキですか? スギですか?

青木亮輔(あおき・りょうすけ)青木亮輔(あおき・りょうすけ)
東京チェンソーズ代表。1976年生まれ。大阪市此花区出身。東京農業大学林学科卒。1年間の会社勤めの後、「地下足袋を履いた仕事がしたい」「後継者不足の林業なら自分にも活躍の場があるのでは」と、林業の世界へ。檜原村木材産業協同組合代表理事。檜原村林業研究グループ「やまびこ会」役員。TOKYOWOOD普及協会専務理事。ツリークライミングジャパン公認ファシリテーター。日本グッド・トイ委員会公認おもちゃコンサルタント。 Photo by Hasegawa Koukou

 手前の一帯がヒノキで、奥の一帯がスギですね。ヒノキとスギは似ていますが、ヒノキは葉が柔らかく、スギは葉が硬い。ヒノキは葉の部分をよく見ると、雪の結晶のようというか、手のひらのような形をしています。スギは葉が棒のように真っ直ぐで、とがっています。

 このあたり(檜原村)は、炭の生産のため、もとは広葉樹の林業を行っていました。しかし、戦中の軍需用材、そして戦後の復興のための伐採ではげ山となり、その後、1950年ごろからスギやヒノキなどの針葉樹が植えられたのです。

――花粉症なので、スギにはあまりいいイメージがありませんでした。でも、スギの葉を水車でひいて粉にし、そこから作られたお線香の香りを嗅いだとき、あまりに香りが良くて、そこからスギの印象が変わりました。

 スギというのは日本の固有種であり、日本で一番大事にされてきた木です。学名も「日本の隠れた宝」を意味する「クリプトメリア・ジャポニカ」といいます。まっすぐ育つので、日本の建築分野と相性が良かったんですね。軍需物資や戦後の復興用に重宝されたために全国で植えられたのですが、植えすぎてしまった。

 今は樹齢も中途半端なため何となく重く見てもらえず、さらに花粉や管理の問題などネガティブな見方が増えており、「全部切って、代わりに広葉樹を植えればいい」という若干、乱暴な意見もあります。

 でも、60~70年育ってきていますし、あと約30年たてば、日本全国に「樹齢100年の森」が次々と誕生することになります。そう考えると、また見方も変わってきますよね。先人たちが植えて大切に育ててきた木を、私たちがどう生かしていくか。林業はこれからが勝負だと思っています。

――なぜ拠点に地方ではなく東京を選んだのでしょうか? また、同じ1次産業でもなぜ農業ではなく林業を始めたのでしょうか? 林業は特に参入のハードルが高い印象があります。