しかし自由の制限は、その時点で最善の科学的根拠の提示と納得のいく説明を伴う形で、最大限抑制的に行われるべきものだろう。

 飲食に対する「まん防の3制限」(営業時間、酒類提供、滞在時間の制限)は、客側・店側双方に大きな不利益を強いるものなのに、この条件を満たしていない。

 緊急事態宣言期間中からの闇営業の増加と顧客や周囲の支持の増加は、「ルールの方がおかしいのだから、破る側は相対的に悪くない」との考えないしは感情に基づくものだろう。「正しい」とまでいえるどうかはともかく、気持ちは「分かる」。

東京オリンピックの開催強行は
「民意をたやすく無視」を可視化

 そして、多くの国民が「人流抑制のために」との理由で我慢を押し付けられている一方で、過半数の国民の反対にもかかわらず、「人流を拡大するイベント」である東京オリンピックは開催される。

「人流を抑えよ」と言いながら、オリンピック開催を強行し、加えて意地汚くも有観客開催の方向に誘導しようとする(「スポンサーの招待客」が大事なのだろうか)。「全ての」ではないが、「多くの」国民に、政府・自治体の一貫性の欠如に対する批判と怒りの感情が生じるのは自然だ。

 国民の過半数が中止ないし延期を望む東京オリンピックの開催強行は、権力・影響力を持っている「あちら側の人たち」に「民意」がたやすく無視されることを、今後もいやというほど分かりやすく可視化してくれるだろう。

 一種の多数決にすぎない選挙で選ばれたことを自らの権限の根拠だと言い張る人たち(政治家)が、自分たちの利害が絡むと世論調査の多数決をさっぱり尊重してくれないのだ。

「まん防の飲食3制限」やオリンピック開催に不満を持つ人たちにとって、オリンピックの開催が避けられないらしいことが見えてきた――。しかし、緊急事態宣言が再延長されて理不尽な制限を今後も押し付けられることを実感したのが、雰囲気が変わった6月1日前後だろう。

 多くの人が「あちら側の人たち」に押し付けられるルールに従わないと決めた。