「日本版梁山泊」を束ねた浄土真宗

 以上は、堅田の本福寺(浄土真宗本願寺派)に伝わる戦国時代の記録『本福寺跡書』に記されている逸話である。しかし、この話、最後をイイ感じにまとめているようでいて、実のところ、現代人の私たち読者を戸惑わせるに十分な内容をもっている。

 そもそも何の罪もない旅人を16人も殺害しておいて何とも思わなかったのに、たった1人の身内の死によって世をはかなむとは、最後まで兵庫は自分勝手が過ぎるだろう。しかも、仏道への帰依の根本的な動機も、罪のない人々の命を奪ったことへの反省ではなく、父を死なせてしまったことへの後悔、もしくは自身の後生への不安があったようにしか思えない。要するに、最後まで彼に海賊行為への反省はうかがえないのである。

 しかし、それは彼ひとりの独善的な思考でもなかったようだ。その証拠に、この話を記録した本福寺の僧侶も、これを心温まるイイ話として紹介しており、そこに作者のためらいはない。この逸話には、あえて兵庫の過去の罪業の深さを強調することで、そんな「悪人」すらも救済されるという浄土真宗の教義と、彼の帰依心の崇高さを際立たせる意図があったのだろう。しかし、それにしては、あまりにその闇が深すぎるのである。いったい、これをどう考えればよいのだろうか。

 思うに、当時の人々にとって、人間の生命というのは、つねに等価とは限らなかったのだろう。生活空間の外部からやってきて通り過ぎていくだけの山伏や旅人のような人たちは匿名的な存在であり、通り過ぎれば、二度と生涯、出会う可能性もなかった。彼らがそのさきどうなろうが、知ったことではない。

 これに対して近隣住人や家族との間には、いまの私たち以上に濃密な関係が築かれていた。いざというとき、いちばん頼りになるのは同じ村や町の近隣住人や家族であって、彼らはつねに村や町あっての私、家あっての私だった。当然、彼らにとって、外来の旅人と内輪の知人では、その命の価値はおのずから異なるものとなった。旅人を何人殺しても悪びれるところのなかった兵庫が、たった一人の身内を失っただけで自我の不安に陥ったのも、無理からぬところであった。