脳内ネットワークを鍛える「じゃんけん」
ガトリンも多田のスタートに驚き

 例えば「反応じゃんけん」では、花牟禮氏に対して部員たちは手で負けて、同時に足で勝たなければいけない。具体的には花牟禮氏が「グー」を出せば、多田をはじめとする部員たちは即座に手で「チョキ」を、足では「パー」を出す。

 実際にトライするとかなり難易度が高い。頭ではわかっていても、なかなか手足へ同時には伝達できない。これを5回ほど行い、ミーティングの最後を「逆さ言葉」で締める。

 壇上の花牟禮氏が例えば「時計」と言えば、間髪入れずに「いけと」と逆さで返す。これで何が変わるのか。脳をどんどん使っていくことで神経細胞だけでなく、シナプスと呼ばれる神経細胞の継ぎ目が増える効果が生まれると花牟禮氏は説明してくれた。

「脳内にある、いわゆる伝達物質が増えてくる。これが密な人ほど、集中力が高いといわれていますからね。自分で言うのもちょっと変ですけど、脳内のことまでを考えている高校の陸上部は、全国でも少ないんじゃないかと思っています」

 脳内ではニューロンと呼ばれる神経細胞がシナプスを介してつながり、電子回路のような情報伝達ネットワークを作っている。機械と大きく違うのは、さまざまな経験や学習を記憶しながら、シナプスそのものが変化していく点にあるという。

 一連のエピソードを花牟禮氏への取材を介して聞いたのは、多田が彗星のごとく登場し、8月にロンドンで開催された世界陸上代表に入った2017年の夏だった。

 この年の多田は、まずは5月のゴールデングランプリ川崎の100mで3位に入った。優勝したリオデジャネイロ五輪の銅メダリストで、9秒74の自己ベストを持つジャスティン・ガトリン(アメリカ)がレース後にうなった。

「誰だかはわからないけど、素晴らしいスタートを切った選手がいた」

 ロケットスタートから70m手前まで首位を走った選手こそが、関西学院大に進んでいた多田だった。6月の日本学生陸上個人選手権では、追い風参考ながら9秒94をマーク。日本国内の競技会で初めて9秒台を出した日本人選手になった。

 勢いを持ち込んだ日本選手権では、今回と同じヤンマースタジアム長居でサニブラウンに次ぐ2位でフィニッシュ。リオデジャネイロ五輪の代表トリオ、桐生、山縣、ケンブリッジ飛鳥をスタートから抑える展開に、こんな言葉を残している。

「あまりプレッシャーを感じないところが、実は僕の武器なんです」